まんまる猫

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ネガティブな自己暗示

 5月から始めた私のヨガは、現在のところ継続中・・・。でもね、何をやっても長続きしない傾向のある私は、この状態に半信半疑なんですなぁ〜。10年ほど前にもヨガに挑戦したけど、行けない理由を見つけちまって中断しました。だからまだ安心はできません。

 ただね、今回は「老後に備えて体幹を鍛えねばならぬ」という明確な目的があって始めたので、今後気持ちが萎えそうになっても「老後に備えて」のキーワードが効果を発揮するかも・・・。

 

 そのためにも、私は「何をやっても長続きしない」という自己暗示をやめようと思います。

 ネガティブな自己暗示をかけていると、ターニングポイントで知らず知らずのうちにそれに合わせた選択をし、結果うまくいかないから「やっぱりな・・・」と強化しがち・・・。まるで、ダメな自分を再確認するかのようにそんな選択をするってわけだ・・・。

 こういう悪循環は、自分の可能性を自分自身で狭めてしまいますからなぁ〜。

 

 過去はどうあれ、これからのことは分からないもんです。そのためにも、自分の内にあるネガティブな自己暗示を少しでも和らげていけるといいよね。

 

 

<余談>

 ヨガは、しゃにむに頑張りすぎず、途中でお休みを入れることがあったとしても、淡々と続けていこうと思っています。続けることが出来るかもしれないという自分の可能性を信じてみようと・・・。

 何しろ「老後に備えて」身体を整えておくのは、私にとっては現実的に必要なことだからねぇ〜。

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笑う

 ふと、「最近は腹を抱えて笑うことがないなぁ〜」と思いました・・・。

 まぁ私の場合は、仕事柄、いつも落ち着いた感じでいて、あまり笑うことはない日々を過ごすことになるわけですが、・・・プライベートな時間に笑うことがあっても、「腹を抱えて」のレベルにはいかないねぇ〜。

 

 子どもの頃とか若い時代には、けっこうそういうことがあったように思いますが、年を重ねてからは腹を抱えるほど笑うことがほとんどないような・・・。少し残念な気がします。

 昔は、笑い過ぎてお腹が痛くなったり、笑いながらしゃべった声が裏返ったりしてさらに笑ってしまうとかいうことがあったんだけどね・・・。

 

 なんか調査でも年齢が上がるにつれて「笑い」が少なくなる傾向にあるみたいですが、これは物事の道理を知りすぎて、新鮮な感性を忘れてしまったせいなんでしょうかねぇ〜。自由な子ども時代と違って、大人になると仕事や家庭やらの苦労が増えてくる、っていう背景もあるんでしょうか・・・。

 

 でも、「笑う」ってことは何歳になっても大事な気がします。「腹を抱えて」のレベルじゃなくてもいいから、温かい気持ちで自然にクスッと笑える心を忘れないでいたいもんだよね。

 

 

 

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自分を認めてあげましょうよ

 この仕事をしていると「私には良いところなんてありません」という言葉をよく聞きます。思春期の少年少女たちもそうだし、大人の方からも・・・。

 まぁ日本人は謙譲の美徳というか、あまり表だって自己アピールすることは得意ではないので「いやいや私なんか・・・」となる傾向があるとは思います。

 

 でも、中には美徳としてではなく、心の底から「良いところなんてない」と確信している方々がいます。こうした自己否定感の強さによって、常に周囲の反応に過敏になるし、行動に自信がもてなくなるし、起こった出来事が本当は自分のせいではないのに反省モードに入ってしまいます。これでは心は疲弊しエネルギーがどんどん減っていく・・・。

 私はね、こうした方々のお話を聞いていると、その方の一生懸命さを感じるんです。生きにくい人生に倒れそうになりながらも必死に自分と戦いながらサバイバルしている・・・。そういうひたむきさに頭が下がるんです。

 

 世の中には、アレコレ全部を他人のせいにして「自分は悪くない!」と言い張る人もいます。それは一見強い人のように見えますが、そうやって構えていないと崩れてしまいそうな自分がいるわけだから、本人は気づいていないとしてもたぶんシンドイ状態・・・。

 でも、「良いところなんてない」と悩む人は、そういう自分と向き合おうとしている人です。そこを出発点にして、「自分を変えていこう!」と強く決心すれば、その努力の先に、今までとは違う世界の景色に出会えるかもしれません。

 

 まずは、できなかったとしても「ちゃんとやろうとした自分」を認めることから始めていきましょう。結果ではなく、「自分の思い」を大事にする努力を重ねていくんです。自分の内のポジティブな部分にちゃんと光を当てるという積み重ねが大事だと私は思っています。

 私なんか失敗だらけの日々ですが、だからこそ「ちゃんとやろうとしたんだよな、今日はそれでよし!」っていう言葉を自分に言い聞かせています。甘やかし過ぎじゃね〜の、と思うくらいにね・・・。

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子どもとゲーム

 ゲーム・ネット依存の問題が最近注目されています。先日、それをテーマにした講演を聞き、その深刻さを改めて感じました。

 「依存」という意味ではギャンブルや薬物などと同じなんですが、「発症年齢が低い」という点が大きく異なります。ここを親御さんにはぜひ認識して欲しいなぁと思います。子どもなので、のめり込むことに迷いがないし、ハマり続けていく時間も果てしなく長くなるので・・・。

 最近の傾向は、据え置き型よりも手軽なスマホのゲームにハマる子どもたちが増加しているようです。子どもの頃から自分のスマホを持つ時代だから、ゲームだけでなく動画視聴も、いつでもどこでも無制限にやれるようになりました。

 

 専門機関のゲーム・ネット依存への本格的な取り組みは始まったばかりなので、改善のための効果的な実践の積み重ねをしている段階・・・。まだ模索中というわけです。

 なので、現時点では、まず「入り口」の部分(いつからやり始めるか?)が重要、ということになるんですよね。「発症年齢が低い」との戦い、というか・・・。

 よく言われることですが、「安易に与えない・与える場合は親子でルールを話し合いそれを破った時にはその都度親子で向き合う・現実の生活を充実させる」等々・・・といった依存への予防策が重要になるわけで・・・。ただ、これが現実には案外難しいんだよね・・・。

 でも、幼児期からやり始めて中学生になった頃には依存状態になってしまった我が子を改善しようとするのは本当に困難だし、親にも相当な覚悟が必要になります。場合によっては、親だけでなく専門機関との連携が必要になるでしょう。

 

 だから、親御さんには「幼いほど子どもは迷いなくのめり込む」という依存の現実を考えて欲しいなぁと思います。そして、我が子にスマホを与える場合には、向き合い続ける覚悟を決めて欲しいなぁと思います。

 

 現代では、スマホやPCはどこの家庭にもあるし、便利なのも事実なので無くすことはできません。

現実の生活をしっかり保ち、気分転換の一つとしてゲームやネットを楽しむ、というバランスの取れた付き合い方について、大人も子どもも考えなければならない時代になりました。

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友人関係の変化

 昨日は盛岡に行き、久しぶりに会った友人と美味しいランチ&おしゃべりを楽しみました。彼女は秋田に住んでいるし、互いに仕事もあるので休みを調整して会えるのは年に1回・・・。

 私が秋田に行ったこともあれば、彼女が水沢に来てくれたこともありますが、大体は今回のように盛岡で会うことが多いかな・・・。

 年に1回しか会えませんが、価値観が同じなので様々な話題を楽しく共有することができます。

 

 ところで、友人との関係性は成長するにしたがって変化していきます。

 幼い頃は、家が近所だとか親同士が知り合いだとかいう環境によることが多いんですが、成長していくと近所だとか親がどうのという環境には左右されなくなります。行動範囲も広がるからでしょう。

 そして思春期になると、幼い頃と違って「理解し合える人」を求めるようになります。これは「自分はどういう人間か?」というアイデンティティを形成していくプロセスで、価値観を共有し確認し合えるような関係を求めるからなんだと思います。ただし、この時期の難しさは「いつも一緒にいたい」っていう部分が出てくることで、・・・これを巡って友人関係のトラブルが起りがち・・・。

 

 これが、大人になっていくと「理解し合える人」を求めるのは同じですが、「いつも一緒」にこだわらなくなるようです。時々会うだけで満足でいるようになるんです。これはアイデンティティが確立したことで精神的に自立できたからでしょう。

 また、友人の数の多さではなく、価値観を共有できる少数精鋭の友人で十分!というのも大人になるとよくあること・・・。たった一人いるだけで満足できるかもしれません。

 

 成長に伴う友人関係の変化というのはおもしろいなぁと思います。

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不安の中身

 感受性が強い思春期の子どもたちのお話によく出てくるのは「みんなが恐い」という言葉・・・。この「恐い」について聞いてみると、「みんなにどう思われているか不安」っていうパターンが多いなぁと思います。

 ちなみに、「みんな」というのは、クラス(or部活動)の人たちだったり、仲良しグループのメンバーたちだったり、同世代の人たちだったりと、その人によって色々です。

 

 で、さらに「不安」な気持ちを具体的に聞いていくと、・・・これが様々なんですよ。

 「迷惑をかけているんじゃないか」「能力の無さが露呈するんじゃないか」「見捨てられるんじゃないか」等々・・・。「不安」という言葉で表現されているけど、これらの中身は微妙に違うんですよね。だから、フォローする場合のポイントも違う・・・。

 

 言葉の奥にある気持ちをちゃんと聞かないと分からないなぁと、いつも思います。

 

 

<余談>

 ついに「ピーちゃんのヒマワリ」が咲き始めました。昨日は久々の晴天でしたが、陽射しを受けて輝く黄色の花がまぶしい感じ・・・。ピーちゃんは知らないだろうけど、私はエネルギーをもらいましたよ。

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寄る年波・・・

 最近、身体が若い頃のようにいかなくなってきたのを実感します。まぁ中高年になれば誰でも身体のどこかにイマイチな部分が出てくるんだろうからそう驚くことではない・・・。何十年も使っていればあちこちにガタがくるのは仕方の無いことですからなぁ〜。

 

 我が腱鞘炎も一進一退だし、高めのコレステロールも・・・。

 そうえいば、コレステロールに関しては薬を飲むようになってから数値が基準値以下になりましたよ。薬ってすげ〜な・・・。それでふと思ったんですが、内科等の「常用の薬飲んでますよ」ってのは中高年のあるあるですなぁ〜。私もこれからはおばはんたちのお薬トークに加われそ〜。

 

 まぁこれからは「老化による○○」が少しずつ増えてくるんでしょうが、これも自然の流れなんだと思います。健康面だけでなく、肌のハリや体力気力等々もね・・・。

 実感し始める「老化」とどう関わっていくか?は中年期の課題の一つ・・・。加齢による様々な変化に過剰反応せず、必要なケアを必要な分だけ淡々とやっていくのがいいんじゃないでしょうか。なんと言っても中年期のテーマは「柔軟性の獲得」ですから・・・。

 

 私は精神的にはまだまだ若い気がしているけれど、・・・この「精神的に若い」っていう部分は大事だと思うんで、せめてこの部分はキープできたらいいなぁと・・・。

 

 

<余談>

 今日は午前中から日が差しているので実に気分がよろしい!

 7月も中旬を迎えると「梅雨明け」がいつか?が気になりますが、明ければ明けたで猛暑の日が続くんでしょうか・・・。でも、カラッと晴れた日が恋しいのも事実だな・・・。

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一人じゃない

 人生というのは、眺めの良い景色の中を気分良く歩いているような時もあれば、吹きすさぶ嵐の中を身をかがめて進んでいかなきゃない時もありますよね。

 苦しいなぁ〜という状況をたった一人で乗り越えていくのはやっぱりシンドイ・・・。だから、誰か支えになる人が必要だと思うんです。

 

 その「誰か」は、今そばにいる人ってのが理想だけど、そううまい具合にいかない場合もあります。私はね、その「誰か」が現実にいなくても心の中にいる人だって十分だと思っています。

 以前に出会った時の良い時間が心に深く刻まれている人、今は亡くなってしまったけど昔確かな愛情を注いでくれた人、あるいは本etcでその生き方に感銘を受けた人や様々な分野で活躍している憧れの人・・・、そういう「誰か」に語りかけながら、苦しい局面を一歩ずつしのいでいけたら「一人」じゃないんだよ・・・。

 心の中を探していけば、その「誰か」が見つかるんじゃないかなぁ。

 

 

<余談>

 ご近所さんから頂いて蒔いたヒマワリが大きく育っています。蕾も膨らんできました。この種は、その方が飼っている小鳥が食べ残したもの・・・。私はその子の名前をとって「ピーちゃんのヒマワリ」と勝手に呼んでいます。

 それにしても、小鳥用の餌も、ちゃんと芽が出て花を咲かせるんだねぇ〜。命というのは不思議だなぁと思います。

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回復し続ける先に・・・

 以前、ガン患者のメンタルをテーマにした番組を見ていましたが、患者さんのお話に寄り添い続けるDrのお話にあった「心的外傷後成長」ということを考えさせられました。

 

 自分が大病や難病などに直面した時には「なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか?」という答えの出ない問いが頭の中を駆け巡り、この先の未来が急速に色を失っていきます。治療の苦しさも加わるので、心身共に打ちひしがれていく・・・。

 でも、そのDrは「そこをほんの少しずつ前に進んでいくと、やがて自分の身に起きたことに新しい意味づけができるようになる」と・・・。それができた時、かつての自分が探していた「答え」にたどり着ける、ということなのかもしれません。

 

 これは病気だけとは限らない・・・。

 私たちの人生では、突然周囲の景色がまるで違ってしまうような辛い出来事に巻き込まれることがあります。そんな時は、心はズタズタに引き裂かれ、世界全体が虚ろになり、寒々とした荒野にたったひとりで取り残されたような気持ちになりますよね・・・。そうなると、「いっそのこと消えてしまいたい」という思いも心をよぎるかもしれません。

 

 でもね、そこを「1日ずつ」しのいでいくことが絶対大事だと私は思うんです。

 1日ずつ這うように進んでいくうちに、ほんの少し冷静さをもてるようになるだろうし、その目で探せば、自分の味方になってくれる人を見つけられるかもしれません。そうすれば、その人を支えにして、もっと先に進んでいけるんじゃないかなぁ・・・。

 

 回復への道のりというのは峠の上り下りのようなものだから、一直線に上がってはいけないかも・・・。だからこそ、支えてくれる誰かと一緒に「回復し続ける」一歩一歩が大事だと思います。

 そして、その道のりの先に、自分を奈落の底に落とした出来事について、自分なりの前向きな意味づけができるようになると私は信じています。・・・人間は弱いけれど、心の底には強さもちゃんと持っているんです。

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雨に思う

 雨音を聞いていると、昭和生まれの私は、何となく子どもの頃に聞いた『雨』という童謡を思い出します。北原白秋さんが作詞した「雨が降ります 雨が降る 遊びに行きたし 傘はなし」っていうやつ・・・。メロディももの哀しいのでしんみりした気分になります。(おそらく現代の子どもたちはこの歌を知らね〜んだろ〜なぁ・・・)

 

 昭和の頃の子どもたちは「遊ぶ」といえば、外に出て友だちと鬼ごっこしたり、虫や川魚を捕ったり、秘密の隠れ家に集まったり等々・・・ってのがフツーでした。だから雨が降ると家にいるしかなくトホホな気分を味わっていたもんです。

 でも、現代は「ゲーム」があるから天候には全く左右されないんだよね。たとえ豪雨だろうが、大雪が降ろうが、子どもたちはいつもと変わりなく楽しく遊べるんでしょう。・・・まぁそれは今の子どもたちにとってはいいことなんだろうけど、・・・本当にそうなんでしょうかねぇ〜。

 

 止まない雨を恨めしく思い忸怩たる思いをじっと我慢しながら、家で「退屈」を持て余すことや、気を取り直して本を読んだり兄弟で遊んだりする(まぁ程なく喧嘩に発展する)っていうことも、心の発達のどこかに良い影響を与えるような気がしますがね・・・。

 過去には戻れないから、この先「ゲームやネット」が子どもたちの遊びの中心になっていくんだと思いますが、おばはんの私は「外(自然の中)で遊ぶことで心身が成長していく」っていう可能性を大事にしたいもんだ、と・・・。

 

 

<余談>

 昨日に引き続き今日も本降りの雨です。せっかくの中総体の晴れ舞台のはずだったのに・・・。

 霧雨程度なら子どもたちは頑張って試合に集中できたかもしれませんが、本降りとなると、野外会場のコンディションだけでなく大会スケジュールの変更も余儀なくされたりして、テンションをキープするのは大変だと思います。・・・選手達の気持ちを考えると、本当に残念です・・・。

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