まんまる猫

飼っている猫のこと、ココロの話、癒しの話、etc
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 先日会った友人から、高村光太郎の「顔」という文章を教えてもらいました。私は、その言葉たちにハッとして心を打たれたんですなぁ〜。・・・大事にしたい文章だと思いました。それを少し紹介します。

 

 「顔は誰でもごまかせない。顔ほど正直な看板はない。」から始まっているんですが、人の「表情」がその人の全体を否応なく表わす、ということが記されています。

 まぁこういう内容の文章はよくあるんですけど、・・・改めて考えさせられた感じなんです。

 「世間並みに言って醜悪な顔立ちになんとも言えない美しさが出ていたり、弁天様のような美しい顔に卑しいものが出て居たり」というあたりも、確かにそうかもしれないと思います。

 私はたくさんの方々にお会いしていますが、必死にご自身の問題と向き合おうとしているその顔には気高ささえ感じるんですよね。表面の造作ではなく、まっすぐな思いが美しく伝わってくる・・・。

 

 心から笑っている時の顔と無理して笑おうとしている顔が違うように、その人の心のありようが出るというか・・・表情を持つ「人間」というのは奥深いなぁと思います。

 普段から鏡をのぞいて自分の顔を眺めてみるのもいいかもしれません。

 

 さっき、私の顔はどんなだろう?と思って鏡を見たら、オフの日のおばはんの緊張感のかけらもない私が映っておった・・・。

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自分の物語

 ここ最近ぼんやり考え続けていたら、社交ダンス→パソドブレ→ビゼーの『カルメン』という風に、今の私と過去の私がつながってきましたが、中学時代が記憶の終点のようです。

 おそらく、その頃家にあったクラシック音楽を聴いていて偶然に『カルメン組曲』に出会い、何らかの衝撃を受けたんでしょうなぁ〜。他の曲も聴いていたにもかかわらず『カルメン』にロックオンしたのはなぜか?っていう部分は想像するしかありません。

 

 だから、ここからは私の「意識」が考える当時の私の物語ですが、おそらく自分探しのプロセスで出会った曲かも・・・。

 記憶する中学時代の私は「穏やかな子」でした。これは、大人になった頃に当時の友人から同じようなことを言われたから実際にそうだったんだと思うわけで・・・。

 でも、当時の私は自分自身に違和感を抱えていたのかも・・・。そんな中で偶然聴いた『カルメン』の独特の旋律とリズムの力強さに圧倒され「これだ!!」と、新しい扉が開いたんでしょうなぁ〜。・・・まぁこういうことって誰もが経験するかもね。

 

 「穏やかな私の内にある激しい私」を自覚する役割を果たしたのが、たまたま聴いた『カルメン』で、それが多感な時期にしっかり刻印されたんだと思います。

 そして、長い時を経て、偶然に観た『ダンシングヒーロー』のDVDで忘却エリアへのルートがパッと開き、その流れで「社交ダンス」に興味を持った、ということなんでしょう。

 「なぜか社交ダンスに惹かれる」から始まった今回の心旅は案外面白かった・・・。『カルメン』を何度も聴いていた思春期時代の私が愛おしくなりました。

 

 「本当の自分は?」というアイデンティティは、思春期だけでなく、生涯追い求めていくもので、その答えが出るのは、様々な自分の姿を経験した後の、おそらく老年期・・・。

 私たちは、「自分はどういう人間か?」を巡って、それぞれの物語を作りながら一生懸命に生きているわけですが、人生のプロセスで気づく「自分の姿」は、そのひとつひとつが物語を形成する大切なパーツなんだと私は思います。

 そして、バラバラのように見えたそれらは、やがて調和していき、自分の物語の最終章で「これが私」という答えを出してくれるんじゃないかなぁ〜。

 

 

<余談>

 現在の私も基本的には「穏やか」な人間ですが、もう一方の「激しい」部分も間違いなく私・・・。他にも様々なパーツがあるでしょう。それらを融合させながら生きておりまする。

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なぜか惹かれる・・・

 先日、私のリラックスタイムに『ダンシングヒーロー』という昔の映画のDVDを観ていたんですが、夫から「社交ダンスが好きだよね」と声をかけられ、「確かに・・・」と納得しました。今までも、バラエティの「社交ダンス大会に挑戦!」的な番組は欠かさず観ていたからねぇ〜。間違いなく好きなんだと思います。

 

 でも、なぜ「社交ダンス」に惹かれるのか?の答えは・・・自分では全く分かりません。私の過去〜現在の生活に「社交ダンス」は無いし、今後やってみたいわけでもないんだよね。現実の暮らしの中では全く関わりの無い世界なんですよ。

 しかも、私の服装の趣味でいえば、ダンス衣装のようなキラキラした派手なものは好みではない・・・。華やかな場、というのも苦手だしね・・・。

 

 まぁ、意識と無意識の層が心にあるとすれば、意識では無縁だと考えているけれど、心の深層部分では憧れているんでしょうかねぇ〜。よく分かりませんが、私の深層が憧れているらしい「キラキラ&華やかな場」の象徴がなぜ「社交ダンス」なのか?、っていうのも謎です。そういう場は他にもあるだろうに・・・。

 

 無意識の層は自覚できないから考えてもすぐには答えが出ないんですが、「なぜか惹かれる」という感じを大事にしたいと思います。もしかして、そのことに思いを巡らせていれば、いつか脳がヒントを探してくれるかも・・・。

 誰にでもある「なぜか惹かれる」「なぜか気になる」っていう部分・・・それに目を向けてみるのも案外面白いかもしれません。

 

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笑う

 誰かとおしゃべりをしていて、自然に笑顔になるとか笑い声が出るって、すごくいいですよね。その瞬間に心が解放されて元気になりますから・・・。

 

 思春期の女の子たちから、「グループの子たちが何かの話題で盛り上がっている時は、私も無理して合わせて笑っているけど、疲れちゃう・・・」という話をたまに聞きます。確かに、気を遣わないはずの仲良しとのおしゃべりの場面でも「無理して」笑わなきゃない、っていうのはシンドイ・・・。

 まぁこれは、仲間を求めつつ、互いの違いを認識していく思春期時代のアルアルの悩みかもしれませんが・・・。

 

 でも、大人でも「無理して笑う」ことに疲れてしまうことはありますよね。その場に必要なビジネススマイルは、スキルとしては必要だと思いますが、常にそうだとしたら、「笑う」ことにエネルギーを吸い取られてしまうでしょう。

 無理に笑顔を作るんじゃなくて、自然に笑えて心が元気になるような場があったらいいなぁと思います。

 

 

<余談>

 今朝はお日様が照って気持ちが良い!!猛暑から一転して涼しくなったのはいいけど、ドンヨリした日が続いていたので、余計に嬉しくなります。このまま今日は晴天のままでいてほしい・・・。

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子どもってすごいなぁ

 小学生のお子さんたちとお話をすることがあるんですが、そのたびに「子どもってすごいなぁ〜」と思うんです。

 何がすごいかというと、小学生なりに自分のことを冷静に振り返り、克服すべき課題や願いをちゃんと言葉にして話せるってこと・・・。

 

 「今日友だちとケンカになったのは、自分がつい○○と言ったからだけど、別の言い方にすればそうならなかったと思う・・・」とか「授業中に問題が分からなくなるとワァ〜ッ!となってしまう。勉強が分かるようになりたいんだけど、うまく先生や友だちに聞けない・・・」等々・・・。

 まだ幼いので、時間の流れが曖昧だったり、因果関係の整理が出来ていなかったり、人との関係性が少々自己中心的な目線だったりはしますが、その子たちの長〜い話をまとめると上記のような内容になる・・・。

 

 それからね、思春期との違いだと思うけど、心がオープンであることにも感動します。

 思春期に入るとどうしても自分の内側の世界にこもりがちになるので、言いたいことがあってもなかなか表現できないんですが、児童期を生きている子どもたちはその辺がオープンなんだよね・・・。

 だから、話が行ったり来たりしながらも、けっこう自分について多くのことを語ってくれるんです。

 

 小学生さんたちの話を聞きながら、子どもなりに色々なことを考えながら暮らしているんだなぁと実感します。そして、大人から見ればちょっと困った行動を取ってしまうかもしれないけれど、本当はその子なりに「ちゃんとやりたい」と思っているのが伝わるんです。

 

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箱庭

 最近、私はオフィスの空いた時間を使って箱庭制作をしています。

 今の仕事を始める時に、自分の軸になるものとして「箱庭療法」を学んだのが十数年前で、しばらく夢中になっていましたが、数年ほど前のあたりから何となくそのモードが薄れていました。

 でもね、その波が再び戻ってきたんですなぁ〜。もう幾つか作りましたよ。

 

 何回か箱庭を作ってみると分かるんですが、棚に並んだたくさんのミニチュアの中で、何となく気になるというか惹かれるというか、つい使いたくなるミニチュアがあるんですよね。・・・これが面白いんです。

 例えば、「今日は田園風景を作ってみよう」と考えて作り始めても、ふと棚にある一つのミニチュアに心惹かれて、それを箱庭の中に配置した途端に、心のどこかが動き出して、「田園風景」とは別の世界に作り直したり、ってことがある・・・。

 自分はなぜこのミニチュアに惹かれるんだろ〜?ということを考えてみるのも、自分の心の奥と対話することになるかもしれないなぁ〜と思っています。

 

 ちなみに、私は箱庭をやり始めた頃からずっと「少年」のミニチュアに惹かれるようで・・・。私の作品の常連さんであり、たぶん私の分身です。今、何日かかけて作っている作品にも出演中・・・。

 私の内では、この子が何かを変えるとか、大事な鍵を握っているとかいうイメージなので、「成長・変化」を求めている感じなのかなぁと思っていますが、・・・どうやら私は中高年になっても「発展途上」の自己イメージなのかもしれませぬ。・・・いずれにせよ、面白いんです。

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心のバイアス

 あっという間に新型コロナウィルスの感染が広がり、世界中が大変な状況になっています。こんなことは今まで経験したことがありませんよね・・・。「これで完治する!」という治療薬もないので、日々報道される感染者数を目にすると気持ちがザワザワして落ち着かなくなってしまいます。

 

 こうした中で、不要不急の外出などの「自粛」が要請されていますが、それを守ろうとする人がいる一方で、そうしようとしない人々がいるのは事実・・・。

 

 危機的な事態に際して適切な行動が取れるかどうか、というのは心の中のバイアス(認知)が影響するかもしれません。

 そもそも人には「安心していたい」という心理が働くので、危険が迫っていても、根拠もなく「自分は大丈夫!」と思いたがる傾向があります。また、数人のグループでいる時には、発言力のある誰かが「大丈夫だ」と言うと、不安を感じている人もそれに同調してしまう傾向も・・・。こうした偏った考え方が災害時の避難行動や今回のような感染から身を守る行動を遅くしてしまうのです。

 過剰に恐怖心を抱く必要はありませんが、「自分は大丈夫!」と思い過ぎないことが大事だと思います。

 

 ところで、この「大丈夫だ」と思いたい心理は、組織でも同じ・・・。例えば、経営が困難でも上層部が「まだ行ける」と動かずにいて対策が遅れ結局破綻する、というようなパターン・・・。

 

 医療が頑張ること、政治が頑張ること、個人が頑張ること等々・・・、それらの歯車をがっちり噛み合わせて、この危機を乗り越えていきたいです。

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私と箱庭

 しばらく前から私は「自分が学んできた箱庭療法を大事にしなきゃならんなぁ〜」と考えるようになっていました。

 

 そもそも私が心理援助職に転身した理由の一つには、「箱庭療法」に興味を持っていたという背景があります。子どもの頃に、グリコのキャラメルのおまけに付いていたミニチュアを集めて遊ぶのが大好きだったからねぇ〜。今思えば、そこが出発点だったんでしょうなぁ〜。子どもの頃に「大好きだった何か」っていうのは、案外その人の後半の人生に新たな意味を持つのかもね・・・。

 

 で、カウンセラーを目指す修業の一環として、「箱庭療法」を学べる場所を見つけて数年間通い続けたわけで・・・。そこでは、この療法を日本に導入した河合隼雄という学者さんと共に活躍してきた先生方から、何度も直接指導を受けることができました。今にして思えば実に貴重な経験だったなぁ〜と・・・。その学びの原点を大事にしなければならん。

 

 ここ10年余はスクールカウンセラーの仕事を中心にしてきたし、学ぶことの多い現場ではありましたが、これからは少しずつ、本来やりたかったことを大事にしていく、という次の段階に移行し始めている私の内面の動きを感じています。まぁいわば第2の人生の第2幕に入り始めている、って感じでしょうかねぇ・・・。「リトルトゥリー」の個性をちゃんと出そうかな、と・・・。

 

 オフィスでは、今まで通り傾聴を中心にした面談を行いますが、興味のある方にはこの療法を取り入れていきたいと思っています。

 私自身の実践でも、箱庭が好きな方が制作を続けていくうちに問題を自分で整理していくのを何度も経験してきました。

 やってみたいと思う方は声をかけてくださいませ。まずは、砂に触ってみるとか、棚に並んだミニチュアを眺めるとかでもいいと思いますよ。

 

 

<余談>

 この週末、夫に手伝ってもらいオフィスを少々模様替えしました。まぁ劇的に変えたわけではなく、箱庭エリアをちょっと広くした程度ではありますがね。・・・私としては良い感じの仕上がりです。

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人生を設計する

 イギリスの哲学者ジェームズ・アレンという人の言葉に「私たちは、思いの主人であり、自分自身のつくり手であり、境遇の設計者なのです」というのがあります。

 これは主体的に自分の人生を創っていくための一つの視点だなぁ〜と・・・。

 

 私たちは本番一本勝負の人生を必死に生きているわけですが、思うようにいかないことが多いから、その度に戸惑い打ちひしがれたりします。そんな時は「何でだよ・・・」と我が身の境遇を恨みたくなりますよね。・・・そんな風に光が見えなくなってしまう時っていうのは誰にも訪れるのかもしれません。

 

 だからこそ、私は彼の言葉は大事だと思うんです。「思いの主人」「自分自身のつくり手」「境遇の設計者」、これらは、自分自身の内側に潜んでいる可能性を表わしているんじゃないかなぁ・・・。

 苦しみのさなかにあって動けずにいる時には、自分の内に可能性がある、なんてこと到底考えられないのですが、・・・でもたぶん誰にでもある・・・。

 

 たとえ今までがシンドイ日々だったとしても、そこから抜け出したい!という思いを強く抱いたとしたら、もうその時点で、自分の境遇を設計し直す一歩を踏み出している証拠だと私は思います。

 「自分のこれからを変える」という決意がもてれば、そのための作戦は少しずつ見えてくるんじゃないかなぁ・・・。

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中年期に見つけるもの

 「今までは人生を突っ走ってきたせいか、面倒なアレコレも、自分の勢いや『気にしないようにする』作戦で処理してきたけど、・・・最近はムリ!」というような話を聞くことがあります。実際、私も友人とおしゃべりをしていると同じような話題になるなぁ〜。

 

 人生の前半は「外の世界」に自分を適応させて頑張ろうとする時期なので、「実際のところ、自分はど〜よ?」っていう部分に蓋をして、周囲に期待される姿でやっていきますよね。そのままのペースで一生を終えられればいいんでしょうが、なぜか、中年期(人生の後半)にさしかかると、抑えていた「自分はど〜よ?」の部分が顔を出し始めることが・・・。

 

 中年期に入ると、自分のアイデンティティーを問い直すというか、自分自身との対話が始まるようです。でも、これが案外苦しいんだよね・・・。だって、それまでやれてきたアレコレに対して「・・・ん?」っていう疑問や「もう我慢できない」思いが生まれてくるからねぇ・・・。一生懸命に頑張って来たはずの自分の前半の生き方まで否定したくなることだってあるかもしれません。

 

 でもね、自分を抑えながら外の世界(or他者)のために奮闘努力したからこそ成長できたり、社会に貢献できたわけだから、否定する必要はありません。むしろ、よく頑張った!と褒めるべきでしょう。

 大事なのは、後半の人生に入って生まれてきた「自分はどう生きたいのか?」という問いへの答えを丁寧に探していくことだと思います。

 理想的なのは、前半の生き方と後半の自分の願いがうまく折り合える地点を見つけて「老年期」に入っていくことだよね。その位置を見つけていくことが中年期のテーマなんじゃないかなぁ〜。・・・かく言う私も模索中でござる。

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