まんまる猫

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中年期の生き方 5

 以前、このテーマの中で「育てる」ことで自分自身の柔軟性が身につく、ということを書きましたが、この「育てる」というプロセスで、柔軟性の獲得に関わるもう一つのエクササイズがあるんです。

 それは、若い世代の価値観とぶつかる場合・・・。

 

 例えば、子育ての場面で思春期の我が子から「お母さん(お父さん)の考え方は古い!!」と反発されると、「なにぃ〜っ!生意気なことを言いおって!」と怒髪天をつくわけですが、実はこの場面が柔軟性Getのためのエクササイズになります。

 

 大人の私たちは、自分の人生経験で得た価値観が間違っていないことには自信があります。だから「なにぃ〜っ!!」となるのは当然のこと・・・。

 大事なのは、その場面で我が子の考えを一刀両断に切り捨てて終わりにするのではなく、冷静さを取り戻した時に「ちょっと待てよ・・・」と立ち止まって考えてみる、っていうことかも・・・。

 もちろん、新しい価値観を全面的に取り入れる必要はなく、自分が信念を持っている何かについては絶対に譲らない!という姿勢は必要だと思います。

 ただね、我が子が必死に訴えているものに対して、その考えに少し耳を傾けることは大事だと・・・。これが柔軟性です。

 そして、何度も話し合って、双方が歩み寄れる地点を模索できるといいですよね。

 親にとっては柔軟性の訓練になるし、子どもにとっては「交渉力」の訓練になるかと・・・。どちらも人生には大事。

 

 親子の対立も、見方によっては、それぞれの成長につながるチャンスなのかもしれません。これは、職場の若い世代との場合でも同様・・・。

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中年期の生き方 4

 色々と忙しい日々を送っていたので、ブログを更新せずに今日まできてしまいましたが、また再開したいと思います。

 

 最近しばしば「中年期」をテーマに書いていますが、今日もそれ・・・。

 仕事を頑張ったり家庭を持ったりして、人生の基盤を固めていく中年期は、昔は人生の中でも充実し安定している時期だと考えられていたようです。でも、最近の研究でそうではないことが分かってきました。

 

 ひとりひとりの中年期には様々なことが起こります。自分が大病を患う場合もあるし、家族がそうなる場合もあるし、老親の介護や死という現実も・・・。あるいは、大切な我が子のことで思い煩う日々を送らねばならないことだってあるでしょう。

 

 子どもの頃や高齢の場合には、周囲からのサポートが得られますが、中年期は「常識ある大人としての言動」を周囲から期待されるので、心がぐちゃぐちゃ状態だったとしてもSOSが出せず、ひとりで苦しみを抱え込んで踏ん張ろうとしてしまいます。

 中年期の鬱状態は深刻な問題・・・。真面目で頑張り屋の人ほど自分で背負い、解決への出口を見落としてしまいます。

 

 苦しい時には誰か信頼できる人にいっぱい話を聞いてもらいましょう。話すことで、話している自分の言葉を脳の中に再取り込みできるので、少しずつ気持ちが整理され、進むべき道を自分で見つけることができると思います。

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中年期の生き方 3

 以前、中年期のテーマの一つは「育てる」っていうことだと書きました。家庭にあっては「子どもを育てる」だし、職場にあっては「後輩を育てる」っていうこと・・・。

 

 この「育てる」苦労を通して、人格的な力が備わっていくんです。

 その一つは「柔軟性」・・・、しなやかな強さです。

 子どものことにせよ、後輩のことにせよ、何かをやろうとする時に、相手を待たずに自分のペースでどんどん進めていった方が上手に手早くできます。でも、そこをぐっと我慢して、相手の動きや成長に合わせながら、必要な援助を必要なだけしていく――、これが「育てる」ということ。・・・でも、実際には歯がゆさからイライラしてストレスが溜るから、言葉で言うほど簡単ではない・・・。

 

 中年期の悩みは、思い通りにならない我が子や後輩との関係性からくることが多いのですが、葛藤しながら試行錯誤していく苦労の中で、自分本位ではなく相手に合わせて柔軟に対応していく力が身についていくようです。よく「子育ては自分育ち」という言葉を聞きますが、その理由は上記のことがあるから・・・。

 

 中年期に自分のペースや都合だけで物事を進めて生きていくと、柔軟性が身につかないので、頑固な心のまま老年期に突入していきます。・・・それはそれで大変かも。

 

 

<余談>

 今日はまさに「秋晴れ」!!陽射しが降り注ぎ、澄んだ空気が心地良い!こんな日が何日も続くと嬉しいんだけどなぁ〜。

 我が家のニャンコは部屋の中の日だまりの所で丸くなって爆睡中・・・。背中の毛に日が当たってキラキラしています。

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中年期の生き方 1

 以前に「老年期」について書きましたが、これから時々このテーマで書いてみようと思います。

 

 だいたい30代頃から60代半ばまでを「成人期」と言います。けっこう長い期間なんだよね・・・。なので、前期と後期に分けてとらえます。一般的に「中年期」って言われるのは「成人期の後期」にあたるわけで・・・。

 

 老年期には「自分の人生をまとめ上げる」っていう人格的なテーマがありますが、「成人期」にも大事なテーマがあります。しかも、この時期に獲得した人格的な力が老後の幸福感etcを左右するんじゃないかなぁと・・・。

 特に「中年期(成人期後期)」にどういう自分であるか、ということは大事な気がします。この時期の生き方が老年期の生き方につながり、人生の幕の降ろし方につながっていくと思うから・・・。人生の中でも重要な期間です。

 

 中年期のテーマは「育てる」ってことと、「人生の問い直し」・・・。これらを日々の暮らしの中で模索していくんですが、中年期になると人生上の様々な変化や困難さがあるので、なかなか道は険しいんですよね。人生の中で一番苦しい時期かも・・・。

 まぁ、こういうことについて、これから時々書いていきます。

 

 

 

<余談>

 この連休は、庭のお手入れをしたいと思います。暑さを言い訳にして、夏の草取りをサボったために、雑草の領地がえらく広がってしまったのだ・・・。ガンバレ、私。

 

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生きる

 自分の人生を生きていくというのは、本番一本勝負・・・。

 部活の大会前の練習試合みたいに、前もってやっておけば本番のイメージがつかめたり、トラブルへの対処法を考えておいたりすることができますが、・・・それは無理な話だよね。

 

 だから、思いがけない困難が降りかかると、途方に暮れたり、何とかしようともがいたり・・・。大きな困難じゃなくても、小さなものが溜って心身に張り付いてしまうと身動きができなくなってしまったり・・・。

 苦しい時というのは本当に苦しく、穏やかな日々が再び訪れるなんてことは想像も出来ないですよね。そんな時には強くならなくていいと思うんです。「しんどいなぁ」と言いながら一日ずつをしのいでいけたらいいなぁと・・・。

 

 困難さに苦しんでいる時、それに真正面から挑むやり方もあれば、困難をあえて回避するやり方もあるし、援軍を求めるやり方もあるetcというように、解決への道は様々あります。また、自分の内には、強い自分もいれば、弱い自分やズルイ自分もいるのが当たり前・・・。

 そういう色々なものを状況に応じてうまく組み合わせていけたらいいよね。方法は一つだけじゃないんです。そして、自分一人だけで頑張る必要もない・・・。

 ドリカムの『さぁ鐘を鳴らせ』の歌にあるように、「一日ずつ」が大事なんだと思います。

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老後の暮らし方 3

 「加齢」という現実が個人にどういう変化をもたらすのか?、ということについて考えていた学者さんたちは昔からいますが、日本で「老年期」についての研究が本格的に始まったのは、今から30年ほど前のようです。研究としてはまだ初期段階なので、これからもっと色々なことが解明されてくるんじゃないかなぁ〜。

 

 研究が始まった頃は、「老化」のとらえ方はネガティブなものだったみたい・・・。例えば「能力が低下する」とか「色々なものを喪失する」とか・・・。

 でもね、最近ではポジティブな部分があることが分かってきたんです。能力に関して言えば、使い続けていればそれほど低下しないし、「技」の分野は生涯発達し続ける(むしろ若い人より優れている)という風に・・・。「喪失」でも、失うものは当然あるけれど、新しい何かを獲得し続けることができる、ということも様々な調査研究で明らかになってきています。

 なので、「老年期」というのは「色々なことが出来なくなる」というよりは、それまでの人生で身につけた色々なものを土台に世界が広がるとか、ずっと続けてきた何かが円熟した形で現れるという、いわば人生の「集大成」の時期なのかもしれません。

 

 ただし、「それまでの人生で身につけた」の部分が「集大成」の形を左右するんじゃないか、って思うんだよね。

 例えば、常に自分勝手な考えを押し通し続けてきたり、私利私欲のために人を蹴落としてのし上がってきたりした場合には、その状態で「老年期」に入るから、周囲は大変かもしれないし、案外本人も苦しくなるかも・・・。

 だから、「老年期」に入るまでの人生で何を大切にして生きてきたのか?が、その後の日々を決めていくんじゃないかと・・・。

 

 自分の人生をまとめ上げていく老年期に、地位や財産等に固執せずに穏やかな心で過ごし、日常のささやかな何かに幸福感を抱きながら暮らしていける、っていうのは理想ですよね。そして、人生の幕を閉じる時に、「色々苦しいことがあったけど、よく頑張ってきた、えらいぞ!」と自分をねぎらい、「私を傷つけた人にも出会ったけど、でも素晴らしい人にも出会えた」と人生に感謝できる人になれたらいいなぁと思います。

 それには、色々な困難が降りかかる「中年期」をどういう風に生きていくか、ってことと関係があるんだと思います。・・・これについては、またそのうち書いてみます。

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老後の暮らし方 2

 前回、「現役引退」をテーマに、人生の第一幕から第二幕への舞台転換で新しい自分の境地を切り拓いていく可能性について書いてみましたが、行方不明だった二歳男児が昨日無事に発見されたニュースで、発見者である78歳の尾畠さんの姿にその象徴を見た気がしました・・・。

 

 ニュースからの情報しかなく、本人に直接お会いしたわけではないので、彼のことをよく分からないまま書いていますが、65歳の誕生日を区切りに、それまでの魚屋を営む生き方にきっぱりピリオドを打ち、ボランティアとして活動する道に転身した彼の姿はすごいなぁと・・・。しかも、インタビューで見る彼には、飾らず、地に足をしっかりつけて生きている強さを感じます。

 

 「今までみなさんのお世話になってきたから、これからはその恩返しをしたい」「学もない自分がやれることをやっているだけ」・・・そういう思いで全国各地でボランティア活動をしているようですが、これはなかなかできることではありません。

 

 彼は、ずっと登山をしてきたようですが、人生の第二幕ではその経験が生かされているし、ボランティア活動を始めてから身につけたノウハウも磨かれていったはず・・・。まさに、老いてもなお発達し続けている姿だと思います。

 

 第一幕の人生でやってきた何かが第二幕を生きる土台になり、必要な技や視点にさらに磨きがかかっていく――、本当にすごいです。

 彼の存在は、いわば「逸材」ですが、私たちが「自分の人生の最終章をどう生きるか?」ということを考えさせてくれるヒントになるんじゃないかなぁ・・・。

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老後の暮らし方 1

 現代は「超高齢社会」に突入したと言われています。

 確か、大正時代の平均寿命は40代、昭和の中頃は60代だったようですが、現代では90代に届きそうな勢いで伸びていますよね。昔は、一生懸命に働いて子どもを育て上げた頃には人生の幕が下ろせたんですが、今ではその後の人生が数十年も続く時代になりました。

 

 長い老後をどう生きるか?ということについては最近のメディアでもよく取り上げられます。私自身にとっても関心のあるテーマです。

 

 今回は、「現役引退」ということについて書いてみようと思います。

 「生涯現役を目指そう!」というフレーズをよく聞きますが、そのこと自体は悪くはないけれど、気をつけなければならない部分もあるんじゃないか、と思うわけで・・・。

 

 会社etcだと否応なく「定年退職」という区切りがあるので、当事者はそこで一度立ち止まって、自分の生き方を見直すことができます。でも、自由業etcはそれがないので、「現役引退」の決断は本人に委ねられますよね。だから、なかなか難しかったりする・・・。

 

 「現役引退」というのは、それまでの自分のアイデンティティを修正し直し、新しい生き方を模索するきっかけになります。今まで抱いてきた「○○としての自分」を手放すことは案外苦しい心の作業ですが、実は、それをしていくことで人格的な豊かさや新しい世界を手に入れることができると思います。

 その一方で、いつまでも過去の「○○としての自分」に執着し続けると、未来に向けた人生の視野が狭くなり、心の柔軟性が失われるかもしれません。

 

 「生涯現役」というのは、一つの生き方だけに執着することではなく、人生の第一幕〜第二幕〜第三幕という風に舞台転換をしながら、そこで見つけた自分自身の変化を楽しんで生きていくことなんじゃないかなぁ〜。

 

 

<余談>

 今日から夫の実家に行くので、ブログは少しお休みします。皆さま、よいお盆をお過ごしくださいませ。

 

 

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心を寄せる何か

 この間、私は「庭友だち」とランチを楽しんだんですが、おばはん同志によくあるように話題があっちに行ったりこっちに戻ったりと、とりとめのないおしゃべりになっちまった・・・。

 でもその中で、マジに語り合ったのが、祈りの対象というか、「いつも心の中にある存在」について・・・。

 

 私と友人の考えが一致したのは、「宗教」というはっきりした形を持たなくても、自分だけの祈りの対象があれば、それが日々の支えになるんじゃないか、ってことでした。

 

 その対象は、亡くなった大事な誰かであったり、心から信頼し尊敬する誰かだったり、森羅万象の何かだったり・・・、人によってそれぞれに違うかもしれません。

 

 私はお会いする方々から、時々「小学校の○○先生が今でも心の支えです」とか、「尊敬する○○さんだったら、こんな時どう考えるんだろう、って思うんです」というような言葉を聞くことがありますが、そういう人も自分の心の中にいる大事な存在といえるんじゃないかなぁ・・・。

 

 お遍路さんたちが着ている白い衣の背中に「同行二人」と書かれてありますが、これは苦しい巡礼の旅を空海上人も共に歩いているという意味だそうです。・・・仏教徒じゃなくても、折に触れて思いを寄せ、語りかけていく存在が心の中にいるというのは、一人だけど一人じゃない、ってことかもしれないね。

 それに、迷ったり絶望したりした時には、足下を照らす小さな灯火にもなるんじゃないでしょうか・・・。

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あえて「今」を評価しない

 しばらく前の「SONGS」という番組に宇多田ヒカルさんが登場し、又吉直樹さんと対談していました。二人の会話は全部興味深かったんですが、その中で宇多田が述べた「『今』を評価できない」という話が心に残りました。

 

 これには、宇多田さんの子ども時代の日々が背景にあるようですが、彼女は「仮に今現在が幸せだったとしても、それは人生の『途中』にすぎない」というようなことを話していました。

 宇多田さんのお母さんはかつて歌手として一世を風靡した方ですが、言動がずいぶん突拍子もなかったようで・・・。学校から帰宅すると突然母親に「明日からニューヨークに引っ越す」と言われたetcのエピソードを語っていました。

 子ども時代の彼女は母親に振り回される日々を送ったようです。その経験が「今を評価できない」という言葉につながっているのでしょう。

 宇多田さんは、「今自分が味わっている幸・不幸は、人生の途中の段階に過ぎず、その先の展開は生きていかないと分からない」と話しながら、賢治の『銀河鉄道の夜』の一節を引用していました。

 

 それは、私も好きな部分・・・。

 「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

 

 この中にある言葉のひとつひとつをそれぞれが自分の人生に当てはめていくと色々と考えが広がるでしょう。

 そして、その答えが見つかるのは、自分なりに精一杯生き抜いた人生の幕を下ろす時なのかもしれません。その時まで、人生に起こるたくさんの出来事への評価を保留しつつ誠実に一あしずつを歩んでまいりましょう。

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