まんまる猫

飼っている猫のこと、ココロの話、癒しの話、etc
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子どもとゲーム

 ゲーム・ネット依存の問題が最近注目されています。先日、それをテーマにした講演を聞き、その深刻さを改めて感じました。

 「依存」という意味ではギャンブルや薬物などと同じなんですが、「発症年齢が低い」という点が大きく異なります。ここを親御さんにはぜひ認識して欲しいなぁと思います。子どもなので、のめり込むことに迷いがないし、ハマり続けていく時間も果てしなく長くなるので・・・。

 最近の傾向は、据え置き型よりも手軽なスマホのゲームにハマる子どもたちが増加しているようです。子どもの頃から自分のスマホを持つ時代だから、ゲームだけでなく動画視聴も、いつでもどこでも無制限にやれるようになりました。

 

 専門機関のゲーム・ネット依存への本格的な取り組みは始まったばかりなので、改善のための効果的な実践の積み重ねをしている段階・・・。まだ模索中というわけです。

 なので、現時点では、まず「入り口」の部分(いつからやり始めるか?)が重要、ということになるんですよね。「発症年齢が低い」との戦い、というか・・・。

 よく言われることですが、「安易に与えない・与える場合は親子でルールを話し合いそれを破った時にはその都度親子で向き合う・現実の生活を充実させる」等々・・・といった依存への予防策が重要になるわけで・・・。ただ、これが現実には案外難しいんだよね・・・。

 でも、幼児期からやり始めて中学生になった頃には依存状態になってしまった我が子を改善しようとするのは本当に困難だし、親にも相当な覚悟が必要になります。場合によっては、親だけでなく専門機関との連携が必要になるでしょう。

 

 だから、親御さんには「幼いほど子どもは迷いなくのめり込む」という依存の現実を考えて欲しいなぁと思います。そして、我が子にスマホを与える場合には、向き合い続ける覚悟を決めて欲しいなぁと思います。

 

 現代では、スマホやPCはどこの家庭にもあるし、便利なのも事実なので無くすことはできません。

現実の生活をしっかり保ち、気分転換の一つとしてゲームやネットを楽しむ、というバランスの取れた付き合い方について、大人も子どもも考えなければならない時代になりました。

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友人関係の変化

 昨日は盛岡に行き、久しぶりに会った友人と美味しいランチ&おしゃべりを楽しみました。彼女は秋田に住んでいるし、互いに仕事もあるので休みを調整して会えるのは年に1回・・・。

 私が秋田に行ったこともあれば、彼女が水沢に来てくれたこともありますが、大体は今回のように盛岡で会うことが多いかな・・・。

 年に1回しか会えませんが、価値観が同じなので様々な話題を楽しく共有することができます。

 

 ところで、友人との関係性は成長するにしたがって変化していきます。

 幼い頃は、家が近所だとか親同士が知り合いだとかいう環境によることが多いんですが、成長していくと近所だとか親がどうのという環境には左右されなくなります。行動範囲も広がるからでしょう。

 そして思春期になると、幼い頃と違って「理解し合える人」を求めるようになります。これは「自分はどういう人間か?」というアイデンティティを形成していくプロセスで、価値観を共有し確認し合えるような関係を求めるからなんだと思います。ただし、この時期の難しさは「いつも一緒にいたい」っていう部分が出てくることで、・・・これを巡って友人関係のトラブルが起りがち・・・。

 

 これが、大人になっていくと「理解し合える人」を求めるのは同じですが、「いつも一緒」にこだわらなくなるようです。時々会うだけで満足でいるようになるんです。これはアイデンティティが確立したことで精神的に自立できたからでしょう。

 また、友人の数の多さではなく、価値観を共有できる少数精鋭の友人で十分!というのも大人になるとよくあること・・・。たった一人いるだけで満足できるかもしれません。

 

 成長に伴う友人関係の変化というのはおもしろいなぁと思います。

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不安の中身

 感受性が強い思春期の子どもたちのお話によく出てくるのは「みんなが恐い」という言葉・・・。この「恐い」について聞いてみると、「みんなにどう思われているか不安」っていうパターンが多いなぁと思います。

 ちなみに、「みんな」というのは、クラス(or部活動)の人たちだったり、仲良しグループのメンバーたちだったり、同世代の人たちだったりと、その人によって色々です。

 

 で、さらに「不安」な気持ちを具体的に聞いていくと、・・・これが様々なんですよ。

 「迷惑をかけているんじゃないか」「能力の無さが露呈するんじゃないか」「見捨てられるんじゃないか」等々・・・。「不安」という言葉で表現されているけど、これらの中身は微妙に違うんですよね。だから、フォローする場合のポイントも違う・・・。

 

 言葉の奥にある気持ちをちゃんと聞かないと分からないなぁと、いつも思います。

 

 

<余談>

 ついに「ピーちゃんのヒマワリ」が咲き始めました。昨日は久々の晴天でしたが、陽射しを受けて輝く黄色の花がまぶしい感じ・・・。ピーちゃんは知らないだろうけど、私はエネルギーをもらいましたよ。

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寄る年波・・・

 最近、身体が若い頃のようにいかなくなってきたのを実感します。まぁ中高年になれば誰でも身体のどこかにイマイチな部分が出てくるんだろうからそう驚くことではない・・・。何十年も使っていればあちこちにガタがくるのは仕方の無いことですからなぁ〜。

 

 我が腱鞘炎も一進一退だし、高めのコレステロールも・・・。

 そうえいば、コレステロールに関しては薬を飲むようになってから数値が基準値以下になりましたよ。薬ってすげ〜な・・・。それでふと思ったんですが、内科等の「常用の薬飲んでますよ」ってのは中高年のあるあるですなぁ〜。私もこれからはおばはんたちのお薬トークに加われそ〜。

 

 まぁこれからは「老化による○○」が少しずつ増えてくるんでしょうが、これも自然の流れなんだと思います。健康面だけでなく、肌のハリや体力気力等々もね・・・。

 実感し始める「老化」とどう関わっていくか?は中年期の課題の一つ・・・。加齢による様々な変化に過剰反応せず、必要なケアを必要な分だけ淡々とやっていくのがいいんじゃないでしょうか。なんと言っても中年期のテーマは「柔軟性の獲得」ですから・・・。

 

 私は精神的にはまだまだ若い気がしているけれど、・・・この「精神的に若い」っていう部分は大事だと思うんで、せめてこの部分はキープできたらいいなぁと・・・。

 

 

<余談>

 今日は午前中から日が差しているので実に気分がよろしい!

 7月も中旬を迎えると「梅雨明け」がいつか?が気になりますが、明ければ明けたで猛暑の日が続くんでしょうか・・・。でも、カラッと晴れた日が恋しいのも事実だな・・・。

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一人じゃない

 人生というのは、眺めの良い景色の中を気分良く歩いているような時もあれば、吹きすさぶ嵐の中を身をかがめて進んでいかなきゃない時もありますよね。

 苦しいなぁ〜という状況をたった一人で乗り越えていくのはやっぱりシンドイ・・・。だから、誰か支えになる人が必要だと思うんです。

 

 その「誰か」は、今そばにいる人ってのが理想だけど、そううまい具合にいかない場合もあります。私はね、その「誰か」が現実にいなくても心の中にいる人だって十分だと思っています。

 以前に出会った時の良い時間が心に深く刻まれている人、今は亡くなってしまったけど昔確かな愛情を注いでくれた人、あるいは本etcでその生き方に感銘を受けた人や様々な分野で活躍している憧れの人・・・、そういう「誰か」に語りかけながら、苦しい局面を一歩ずつしのいでいけたら「一人」じゃないんだよ・・・。

 心の中を探していけば、その「誰か」が見つかるんじゃないかなぁ。

 

 

<余談>

 ご近所さんから頂いて蒔いたヒマワリが大きく育っています。蕾も膨らんできました。この種は、その方が飼っている小鳥が食べ残したもの・・・。私はその子の名前をとって「ピーちゃんのヒマワリ」と勝手に呼んでいます。

 それにしても、小鳥用の餌も、ちゃんと芽が出て花を咲かせるんだねぇ〜。命というのは不思議だなぁと思います。

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回復し続ける先に・・・

 以前、ガン患者のメンタルをテーマにした番組を見ていましたが、患者さんのお話に寄り添い続けるDrのお話にあった「心的外傷後成長」ということを考えさせられました。

 

 自分が大病や難病などに直面した時には「なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか?」という答えの出ない問いが頭の中を駆け巡り、この先の未来が急速に色を失っていきます。治療の苦しさも加わるので、心身共に打ちひしがれていく・・・。

 でも、そのDrは「そこをほんの少しずつ前に進んでいくと、やがて自分の身に起きたことに新しい意味づけができるようになる」と・・・。それができた時、かつての自分が探していた「答え」にたどり着ける、ということなのかもしれません。

 

 これは病気だけとは限らない・・・。

 私たちの人生では、突然周囲の景色がまるで違ってしまうような辛い出来事に巻き込まれることがあります。そんな時は、心はズタズタに引き裂かれ、世界全体が虚ろになり、寒々とした荒野にたったひとりで取り残されたような気持ちになりますよね・・・。そうなると、「いっそのこと消えてしまいたい」という思いも心をよぎるかもしれません。

 

 でもね、そこを「1日ずつ」しのいでいくことが絶対大事だと私は思うんです。

 1日ずつ這うように進んでいくうちに、ほんの少し冷静さをもてるようになるだろうし、その目で探せば、自分の味方になってくれる人を見つけられるかもしれません。そうすれば、その人を支えにして、もっと先に進んでいけるんじゃないかなぁ・・・。

 

 回復への道のりというのは峠の上り下りのようなものだから、一直線に上がってはいけないかも・・・。だからこそ、支えてくれる誰かと一緒に「回復し続ける」一歩一歩が大事だと思います。

 そして、その道のりの先に、自分を奈落の底に落とした出来事について、自分なりの前向きな意味づけができるようになると私は信じています。・・・人間は弱いけれど、心の底には強さもちゃんと持っているんです。

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雨に思う

 雨音を聞いていると、昭和生まれの私は、何となく子どもの頃に聞いた『雨』という童謡を思い出します。北原白秋さんが作詞した「雨が降ります 雨が降る 遊びに行きたし 傘はなし」っていうやつ・・・。メロディももの哀しいのでしんみりした気分になります。(おそらく現代の子どもたちはこの歌を知らね〜んだろ〜なぁ・・・)

 

 昭和の頃の子どもたちは「遊ぶ」といえば、外に出て友だちと鬼ごっこしたり、虫や川魚を捕ったり、秘密の隠れ家に集まったり等々・・・ってのがフツーでした。だから雨が降ると家にいるしかなくトホホな気分を味わっていたもんです。

 でも、現代は「ゲーム」があるから天候には全く左右されないんだよね。たとえ豪雨だろうが、大雪が降ろうが、子どもたちはいつもと変わりなく楽しく遊べるんでしょう。・・・まぁそれは今の子どもたちにとってはいいことなんだろうけど、・・・本当にそうなんでしょうかねぇ〜。

 

 止まない雨を恨めしく思い忸怩たる思いをじっと我慢しながら、家で「退屈」を持て余すことや、気を取り直して本を読んだり兄弟で遊んだりする(まぁ程なく喧嘩に発展する)っていうことも、心の発達のどこかに良い影響を与えるような気がしますがね・・・。

 過去には戻れないから、この先「ゲームやネット」が子どもたちの遊びの中心になっていくんだと思いますが、おばはんの私は「外(自然の中)で遊ぶことで心身が成長していく」っていう可能性を大事にしたいもんだ、と・・・。

 

 

<余談>

 昨日に引き続き今日も本降りの雨です。せっかくの中総体の晴れ舞台のはずだったのに・・・。

 霧雨程度なら子どもたちは頑張って試合に集中できたかもしれませんが、本降りとなると、野外会場のコンディションだけでなく大会スケジュールの変更も余儀なくされたりして、テンションをキープするのは大変だと思います。・・・選手達の気持ちを考えると、本当に残念です・・・。

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「いい時間」の記憶

 以前見たドキュメンタリー番組の中で、ある人が言った言葉が心に残りました。

 その人は「自分が味わったこの素晴らしい時間は過去になって消えていくけど、『いい時間を過ごした』という記憶が、これからの私の支えになります」というようなお話をしていました。

 

 確かにそうだよなぁ〜と思います。

 時間はひたすら前に進んでいくから、様々なことはあっという間に過去になるけれど、本当に心が満たされ幸せな気持ちになった体験は、その人を支える思い出としてずっと残っていくんだよね。人との出会いもそうだし、風景だってそうかもしれない・・・。

 よくドラマなんかでも、都会の暮らしに疲れた主人公が故郷の山を見て気持ちを奮い立たせるとか、部屋の片隅にあった懐かしい何かを偶然見つけて心が癒やされるとかいうのがありますが、それは単なる風景やモノではなくて、その人にしか分からない極上の時間の記憶があるからなんでしょう・・・。

 

 私たち人間は、過去のいい思い出からも今を生きるエネルギーをもらえるんだよね、きっと・・・。

 今までの記憶にはそんな素晴らしいものなんてない、と思っている人も、これからそういう体験に出会うかもしれませんよ。それが明日か、来年か・・・。

 

 

<余談>

 昨日と一転して今日はドンヨリお天気です。今日から地区の中総体が開催されるのに残念だなぁと思います。いいコンディションの中で試合に臨めたら良かったのにね・・・。

 選手達はどんなお天気だろうが精一杯の力で頑張るはず・・・、ひとりひとりの健闘を心から祈っています。

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「楽しい」ということ

 「楽しい」というと、「笑える」とか「ワクワクする」とかいう連想が浮かびますが、そんなハイテンションではない楽しさもあるんじゃないか、ってことを最近考えます。

 

 これはヨガをやっていて実感することなんですが、「できなかったことができた!」と思える時間も「楽しい」よなぁ〜と・・・。

 私は初心者なので、まだ身体がガチガチに硬いわけですが、それでも自分なりに手足伸ばしていくと、前回よりも少し柔らかくなっていることに毎回気づくんです。体幹を鍛える動作でも、以前はグラグラして大変だったのがちょっと安定するようになったり・・・。

 

 今までできなかったことができるようになる、っていうのはすごく楽しいんですよ。そして、それを実感すると「ほぉ〜自分がんばってんじゃん!」と素直に認められるし・・・。その結果、よし!また頑張ろう、となるわけで・・・。

 

 ワクワクすることにも楽しさを感じるけど、自分なりに達成感を感じる何かに対しても人は楽しさを感じるんだと思います。

 勉強などでも同じなんじゃないかなぁ〜。

 

 

<余談>

 今日の陽射しは有り難い・・・。なんだかホッとしますよね。

 プランターで育てているキュウリですが、今朝2本収穫できました。トゲトゲが指に当たって痛いけど、その新鮮さが嬉しいです。

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拒絶への不安

 他者への気遣いが強すぎると人の中にいるのが恐くなってしまうことがあります。

 自分の視線や行動が相手を不快にしているのではないか、ここに自分が加わらない方がみんなはうまくやれるのではないか等々と考えてしまうと、いたたまれないほど苦しいはず・・・。みんなとうまくやっていきたい気持ちが人一倍強いために、逆に拒絶されることへの不安が高まるんだよね。

 そうなると、相手の何気ない言動を拒絶のサインだと受け取ってしまうこともあるかもしれません。実際は違うんだけど、自分の心の中ではそうだと確信してしまう・・・。こういう場合は、自分の主観だけが強くなりすぎていて客観的なとらえ方が出来なくなっているかも・・・。

 

 様々な人がいる集団の中で生きていくのはけっこう神経を遣うものです。

 まぁ誰もが勝手気ままをしていたら社会生活は成り立たなくなるので、周囲を見ながら適度に自分の言動をコントロールするスキルは必要だと思います。でも、それが行き過ぎて他人の評価ばかりが気になってしまうと本当に苦しい・・・。

 

 できれば、信頼できる誰かに自分を受け止めてもらえると安心感が生まれるんじゃないかなぁ・・・。そして、その人と自分のことについて語り合っていくことで、少しずつ客観的な見方をゲットできるといいよね・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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