まんまる猫

飼っている猫のこと、ココロの話、癒しの話、etc
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子どもってすごいなぁ

 小学生のお子さんたちとお話をすることがあるんですが、そのたびに「子どもってすごいなぁ〜」と思うんです。

 何がすごいかというと、小学生なりに自分のことを冷静に振り返り、克服すべき課題や願いをちゃんと言葉にして話せるってこと・・・。

 

 「今日友だちとケンカになったのは、自分がつい○○と言ったからだけど、別の言い方にすればそうならなかったと思う・・・」とか「授業中に問題が分からなくなるとワァ〜ッ!となってしまう。勉強が分かるようになりたいんだけど、うまく先生や友だちに聞けない・・・」等々・・・。

 まだ幼いので、時間の流れが曖昧だったり、因果関係の整理が出来ていなかったり、人との関係性が少々自己中心的な目線だったりはしますが、その子たちの長〜い話をまとめると上記のような内容になる・・・。

 

 それからね、思春期との違いだと思うけど、心がオープンであることにも感動します。

 思春期に入るとどうしても自分の内側の世界にこもりがちになるので、言いたいことがあってもなかなか表現できないんですが、児童期を生きている子どもたちはその辺がオープンなんだよね・・・。

 だから、話が行ったり来たりしながらも、けっこう自分について多くのことを語ってくれるんです。

 

 小学生さんたちの話を聞きながら、子どもなりに色々なことを考えながら暮らしているんだなぁと実感します。そして、大人から見ればちょっと困った行動を取ってしまうかもしれないけれど、本当はその子なりに「ちゃんとやりたい」と思っているのが伝わるんです。

 

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箱庭

 最近、私はオフィスの空いた時間を使って箱庭制作をしています。

 今の仕事を始める時に、自分の軸になるものとして「箱庭療法」を学んだのが十数年前で、しばらく夢中になっていましたが、数年ほど前のあたりから何となくそのモードが薄れていました。

 でもね、その波が再び戻ってきたんですなぁ〜。もう幾つか作りましたよ。

 

 何回か箱庭を作ってみると分かるんですが、棚に並んだたくさんのミニチュアの中で、何となく気になるというか惹かれるというか、つい使いたくなるミニチュアがあるんですよね。・・・これが面白いんです。

 例えば、「今日は田園風景を作ってみよう」と考えて作り始めても、ふと棚にある一つのミニチュアに心惹かれて、それを箱庭の中に配置した途端に、心のどこかが動き出して、「田園風景」とは別の世界に作り直したり、ってことがある・・・。

 自分はなぜこのミニチュアに惹かれるんだろ〜?ということを考えてみるのも、自分の心の奥と対話することになるかもしれないなぁ〜と思っています。

 

 ちなみに、私は箱庭をやり始めた頃からずっと「少年」のミニチュアに惹かれるようで・・・。私の作品の常連さんであり、たぶん私の分身です。今、何日かかけて作っている作品にも出演中・・・。

 私の内では、この子が何かを変えるとか、大事な鍵を握っているとかいうイメージなので、「成長・変化」を求めている感じなのかなぁと思っていますが、・・・どうやら私は中高年になっても「発展途上」の自己イメージなのかもしれませぬ。・・・いずれにせよ、面白いんです。

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心のバイアス

 あっという間に新型コロナウィルスの感染が広がり、世界中が大変な状況になっています。こんなことは今まで経験したことがありませんよね・・・。「これで完治する!」という治療薬もないので、日々報道される感染者数を目にすると気持ちがザワザワして落ち着かなくなってしまいます。

 

 こうした中で、不要不急の外出などの「自粛」が要請されていますが、それを守ろうとする人がいる一方で、そうしようとしない人々がいるのは事実・・・。

 

 危機的な事態に際して適切な行動が取れるかどうか、というのは心の中のバイアス(認知)が影響するかもしれません。

 そもそも人には「安心していたい」という心理が働くので、危険が迫っていても、根拠もなく「自分は大丈夫!」と思いたがる傾向があります。また、数人のグループでいる時には、発言力のある誰かが「大丈夫だ」と言うと、不安を感じている人もそれに同調してしまう傾向も・・・。こうした偏った考え方が災害時の避難行動や今回のような感染から身を守る行動を遅くしてしまうのです。

 過剰に恐怖心を抱く必要はありませんが、「自分は大丈夫!」と思い過ぎないことが大事だと思います。

 

 ところで、この「大丈夫だ」と思いたい心理は、組織でも同じ・・・。例えば、経営が困難でも上層部が「まだ行ける」と動かずにいて対策が遅れ結局破綻する、というようなパターン・・・。

 

 医療が頑張ること、政治が頑張ること、個人が頑張ること等々・・・、それらの歯車をがっちり噛み合わせて、この危機を乗り越えていきたいです。

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私と箱庭

 しばらく前から私は「自分が学んできた箱庭療法を大事にしなきゃならんなぁ〜」と考えるようになっていました。

 

 そもそも私が心理援助職に転身した理由の一つには、「箱庭療法」に興味を持っていたという背景があります。子どもの頃に、グリコのキャラメルのおまけに付いていたミニチュアを集めて遊ぶのが大好きだったからねぇ〜。今思えば、そこが出発点だったんでしょうなぁ〜。子どもの頃に「大好きだった何か」っていうのは、案外その人の後半の人生に新たな意味を持つのかもね・・・。

 

 で、カウンセラーを目指す修業の一環として、「箱庭療法」を学べる場所を見つけて数年間通い続けたわけで・・・。そこでは、この療法を日本に導入した河合隼雄という学者さんと共に活躍してきた先生方から、何度も直接指導を受けることができました。今にして思えば実に貴重な経験だったなぁ〜と・・・。その学びの原点を大事にしなければならん。

 

 ここ10年余はスクールカウンセラーの仕事を中心にしてきたし、学ぶことの多い現場ではありましたが、これからは少しずつ、本来やりたかったことを大事にしていく、という次の段階に移行し始めている私の内面の動きを感じています。まぁいわば第2の人生の第2幕に入り始めている、って感じでしょうかねぇ・・・。「リトルトゥリー」の個性をちゃんと出そうかな、と・・・。

 

 オフィスでは、今まで通り傾聴を中心にした面談を行いますが、興味のある方にはこの療法を取り入れていきたいと思っています。

 私自身の実践でも、箱庭が好きな方が制作を続けていくうちに問題を自分で整理していくのを何度も経験してきました。

 やってみたいと思う方は声をかけてくださいませ。まずは、砂に触ってみるとか、棚に並んだミニチュアを眺めるとかでもいいと思いますよ。

 

 

<余談>

 この週末、夫に手伝ってもらいオフィスを少々模様替えしました。まぁ劇的に変えたわけではなく、箱庭エリアをちょっと広くした程度ではありますがね。・・・私としては良い感じの仕上がりです。

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人生を設計する

 イギリスの哲学者ジェームズ・アレンという人の言葉に「私たちは、思いの主人であり、自分自身のつくり手であり、境遇の設計者なのです」というのがあります。

 これは主体的に自分の人生を創っていくための一つの視点だなぁ〜と・・・。

 

 私たちは本番一本勝負の人生を必死に生きているわけですが、思うようにいかないことが多いから、その度に戸惑い打ちひしがれたりします。そんな時は「何でだよ・・・」と我が身の境遇を恨みたくなりますよね。・・・そんな風に光が見えなくなってしまう時っていうのは誰にも訪れるのかもしれません。

 

 だからこそ、私は彼の言葉は大事だと思うんです。「思いの主人」「自分自身のつくり手」「境遇の設計者」、これらは、自分自身の内側に潜んでいる可能性を表わしているんじゃないかなぁ・・・。

 苦しみのさなかにあって動けずにいる時には、自分の内に可能性がある、なんてこと到底考えられないのですが、・・・でもたぶん誰にでもある・・・。

 

 たとえ今までがシンドイ日々だったとしても、そこから抜け出したい!という思いを強く抱いたとしたら、もうその時点で、自分の境遇を設計し直す一歩を踏み出している証拠だと私は思います。

 「自分のこれからを変える」という決意がもてれば、そのための作戦は少しずつ見えてくるんじゃないかなぁ・・・。

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中年期に見つけるもの

 「今までは人生を突っ走ってきたせいか、面倒なアレコレも、自分の勢いや『気にしないようにする』作戦で処理してきたけど、・・・最近はムリ!」というような話を聞くことがあります。実際、私も友人とおしゃべりをしていると同じような話題になるなぁ〜。

 

 人生の前半は「外の世界」に自分を適応させて頑張ろうとする時期なので、「実際のところ、自分はど〜よ?」っていう部分に蓋をして、周囲に期待される姿でやっていきますよね。そのままのペースで一生を終えられればいいんでしょうが、なぜか、中年期(人生の後半)にさしかかると、抑えていた「自分はど〜よ?」の部分が顔を出し始めることが・・・。

 

 中年期に入ると、自分のアイデンティティーを問い直すというか、自分自身との対話が始まるようです。でも、これが案外苦しいんだよね・・・。だって、それまでやれてきたアレコレに対して「・・・ん?」っていう疑問や「もう我慢できない」思いが生まれてくるからねぇ・・・。一生懸命に頑張って来たはずの自分の前半の生き方まで否定したくなることだってあるかもしれません。

 

 でもね、自分を抑えながら外の世界(or他者)のために奮闘努力したからこそ成長できたり、社会に貢献できたわけだから、否定する必要はありません。むしろ、よく頑張った!と褒めるべきでしょう。

 大事なのは、後半の人生に入って生まれてきた「自分はどう生きたいのか?」という問いへの答えを丁寧に探していくことだと思います。

 理想的なのは、前半の生き方と後半の自分の願いがうまく折り合える地点を見つけて「老年期」に入っていくことだよね。その位置を見つけていくことが中年期のテーマなんじゃないかなぁ〜。・・・かく言う私も模索中でござる。

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思春期の兆し

 思春期にさしかかっているお子さんたちのお話を聞いていると「なるほど、これが小さなスタートなのかもなぁ〜」と微笑ましく思うことがあります。

 

 例えば、「お母さん(お父さん)は私のことなんかちゃんと考えてないんだ!」とプンプンしている時、その背景には「大好きなお菓子の○○を買って!と何度頼んでも買ってくれない!!」ということがあるようで・・・。

 まぁ親とすれば、甘いお菓子は虫歯になると考えて、心を鬼にしてあえて買わないのだと思います。こんなパターンはよくあること・・・。

 でも、たかが「お菓子」ですが、こういう些細な入り口から「親は私の気持ち(願い)に寄り添ってくれるのか?」という問いが子どもの心に生まれるのかもしれません。

 

 思春期は自分自身と向き合うと同時に、親と自分との関係性をチェックしていく時期・・・。愛される価値がある自分なのかを日々の暮らしの中で確認し始めるようになります。

 

 子どもの心の発達には、自分の要求が通らず「なんでダメなんだよ!!」と悔しさで地団駄踏む経験も必要なので、常に要求に応じる必要はありません。ダメはダメでいいんです。

 ・・・ですが、何回かに1回は我が子の希望に寄り添うのがいいんじゃないかなぁ〜。

 

 

<余談>

 明日は「3月11日」・・・、震災以降この日は特別な日になりましたよね。

 今年は新型コロナ肺炎のため、今まで行ってきた慰霊祭も形を変えざるを得ませんが、祈りの思いは天に届くと思います。

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お守り

 先日、生徒さんとコミュニケーションゲームをしていて、「あなたはお守りを信じますか?」という質問カードをきっかけに色々おしゃべりをしましたよ。

 その方は「3年生」だったので、「合格するように元朝参りに行ってお守りを買ってきました」と・・・。そこから、話題は入試の話やら、高校生になったら何をしたいか等々と広がっていき、「お守り」からはそれていってしまいましたがね・・・。

 

 私は宗教のことはよく分かりませんが、それでも「お守り」にすがりたくなる時があります。まぁ「お守り」というか、何かに祈りたくなるというか・・・。

 自分がコントロールできる範囲を超えるものに遭遇すると、多くの人はそういう心境になるかもしれませんよねぇ〜。普段は不信心を重ねておきながら困るとすがる、ってのは少々身勝手ではあるけれども・・・。

 

 もしかしたら、「願をかけてお守りを持つ」とか「祈る」というのは、自分の真の願いを自分自身で確認するというか、向き合うための行為かも・・・。「こうなりますように」「こうなってほしい!」という心から願っていることをはっきり意識することなんじゃないかなぁ〜。

 だとすれば、「祈る」っていう行為は、自分の内にあるポジティブな思いを強化していくための良い方法かもしれません。

 

 

 

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ほどほども大事

 正月も過ぎ、何かとにぎやかだったテレビ番組も落ち着きを取り戻している最近です。先週からは「日常」を取り戻しというか無理矢理引き戻されて、仕事やら家のこと等に追われる毎日ですよね。・・・年末年始を忙しく過ごした方は、その疲れのまま動き出しているかも知れません。

 

 私は思うんですが、子どもの頃から「頑張り屋さん」だった人は少し力を抜くことを覚えるのがいいんじゃないかと・・・。「自分が我慢して踏ん張れば」とか「〜しなければダメだ」等と考えてしまいがちな人は、もしかしたら、力を抜いたとしても「ちゃんとやってる」枠の中から出ることはないんじゃないでしょうかねぇ・・・。

 

 テストの「60点〜70点」は十分に及第点です。

 もちろん、満点を狙って頑張ることが必要な場合もあるんだと思います。でもね、常にそうしなくてもいいんじゃないかなぁ〜。

自分の心と身体からのメッセージに耳を傾けて、ここは「6〜7割でいこう!」という割り切りができるといいですよね。

 

 疾駆しがちな自分の手綱を自分自身がちゃんとコントロールしていくことは大事なことだと、・・・私自身にも言い聞かせています。

 

 

 

<余談>

 明日から火〜金連続の学校勤務が再開します。正月明けからオフィス仕事はしていたけれど、「学校モード」から離れていたので、切り替えないといかんなぁ〜。・・・あと、ブログ更新も間隔が空くと思います。

 

 

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晩年

 先日、友人とランチを食べながらおしゃべりしたんですが、話題は「老後をどう生きるか?」って感じでした。まぁこれは中高年のあるあるですがね・・・。

 

 でね、「この年になると・・・」を皮切りに、集中力が続かないとか、体力がどうのとかいう流れになるわけで・・・。そして、ひとしきりネガティブなアレコレを共有した後で、「自分から年寄りになるのはやめよう!」ということになりました。

 自分の可能性に自分でストップをかけたらダメだよね・・・。

 

 確かに、若い頃の行動力等は無くなりつつありますが、長く生きた分、経験やそれを踏まえた人生の知恵をゲットし始めた段階に入ったわけだから、まだまだ発達途上・・・。伸びしろはたくさんあります。

 

 考えてみれば、人の発達の頂点は若い頃ではなく「老年期」にあるので、その頃の人格が「自分自身のまとめ」ってことですからなぁ〜。

 中年期に遭遇する苦しい出来事も、もしかしたら、人格を豊かにするための修行のようなものかもしれません。苦しさの中で、自分の成長につながる新たな気づきを得る可能性があるからねぇ・・・。

 

 人生最後のステージを、恨み辛みで膨らんだ心や自分を否定し続ける心ではなく、余計なモノは手放してささやかな何かに喜びを感じられる心で過ごしていきたいもんです。

 必要以上に老いを受け入れず、適度に抗いながらも、孔子の言うように「六十にして耳順う」「七十にして心の欲する所に従へども矩ををこえず」の境地に近づいていけるといいよね。

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