まんまる猫

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気持ち

 私たち人間は、誰かの生き方や考え方等に影響を受けたり、自分が誰かに影響を与えたりしていますよね。それは感情面でも同様・・・。

 

 「気持ち」というのは目には見えませんが、「雰囲気」で瞬時に伝わるから不思議です。まぁ非言語というか、眼差しやら表情やら、声のトーン、仕草等でメッセージを発しているので、それを察知するんだよね。この「察知する」能力が備わっているのは人間が社会的な生き物だからなのかもしれませんなぁ〜。

 

 職場や学校等でいつも一緒にいるメンバーの誰かが不機嫌オーラを出していると、そのさざ波が周囲にも漂っていきます。それを察知して「え、私が怒らせた?」と不安になる人もいるだろうし、「は?すぐ顔に出さないでよ」と不快に感じる人もいたりして反応は様々でしょうが、その誰からの影響を受けてしまうのは確か・・・。

 ポジティブな影響というのもあって、誰かが穏やかな雰囲気を醸し出していると、その安定感が周囲にも伝わり、全体が落ち着くこともあります。

 不思議なものだと思います。

 

 

<余談>

 さっき、天空から白鳥の鳴き声が聞こえてきました。白鳥たちがやって来て、雪が降って・・・、そういう季節になったんだねぇ〜。昨日からの雪で庭も白く姿を変えました。

 春が来るまで、しばらくは冬ごもりの日々だな・・・。今年の冬が穏やかに過ぎてくれるといいなぁと思います。

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冬に向かう

 12月に入って寒さが一段と増してきました。晴れた日は陽射しが暖かいけれど、空気はピンと張り詰めています。暖冬になりそうだとはいえ、これからは、雪も降り、気温も氷点下を超えるようになるでしょう。まぁ冬になったんだから仕方が無いね・・・。

 

 我が家の庭は静かです。先日、庭一面に腐葉土を毛布代わりにかけて今シーズンの庭仕事を終えました。

 寂しく静まりかえった庭で頑張っているのは、ビオラと地植えのシクラメンですが、彼らの元気な色を眺めるだけでなんだかホッとするんだよなぁ〜。

 

 この時期になるといつも思うことがあるんです。それは「命は目に見えないところで、春に向けて着々と準備をし続けている」ってこと・・・。球根や宿根草やこぼれ落ちた花の種たちは、やがて花開く日のために土の中で休みなく準備をしているだろうし、虫さんたちだって元気に動き回る日のためにエネルギーを溜めているんだよね。

 当たり前のことなんだけど、なんか人生にも言えるよなぁ〜と思うんですよね。

 

 私たちの人生にも「冬」に向かう時がある・・・。そういう時が自分に訪れることがあるんです。抗おうとしてもがいてもエネルギーを消耗するだけ、っていう日々がね・・・。

 そんな時はジタバタせずに、今の自分がやれる何かを淡々と続けていくのがいいんじゃないかなぁ・・・。苦しいなぁと感じながらも、自分が出来ることを続けていく先に、出口の光が見えてくると私は思っています。

 大事なのは、必ず春が来ることを信じることと、自分が花開くイメージをしっかり心に描くことだと思います。スピードを落としてもいいから止まっちゃいけない・・・。

 

 「冬」は厳しい日々が続きますが、土の下ではたくさんの命たちが次のチャンスに向けて黙々と活動し続けていることを、そんな彼らは苦しい日々を共に乗り越えていく仲間であることを心に留めておこうと思います。

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中年期の生き方 7

 「中年期」のテーマとして、今までは柔軟性の獲得について書いてきましたが、もう一つ大事なものがあります。それは、「人生の問い直し」・・・。

 

 中年期に入った頃に、人々の心にどんな思いが出てくるのかを調べた学者さんがいますが、それによると以下のような思いを抱くようで・・・。

  ○私は今までの人生で何を成し遂げられたんだろう?

  ○若い頃の夢で叶ったものは何だろう?そして、叶えたいものは?

  ○私はこの人生に満足しているのだろうか?          等々・・・。

 

 これらの問いは、テイストとしては「後悔」っぽくみえますが、実は、将来を見据えて「人生をより充実させたい」というポジティブな思いが根底にあります。

 老年期を前にしているからこそ、原点に立ち返り、今後の人生をもっと豊かにするためには何が必要か?と自分自身に問い、答えを模索していくことで、人格的にグレードアップしていくわけで・・・。

 

 ただね、これらの問いが心の中に生まれてくると、今の生活全般や自分自身を見直すようになるので、それまで考えないようにしてきたアレコレについての葛藤が生じることも・・・。

 そんな時には、ヒントを得るために友人とゆっくり語り合ったり、本を読んだり等々ということが必要になるかもしれません。ひとりで悶々としていても、考えることは堂々巡りになるので、外からの刺戟があった方がいいからねぇ・・・。

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同じ言葉でも・・・

 今朝のニュースで、羽生選手がフィギュアスケートグランプリのロシア大会SPで、世界記録を更新する高得点で首位に立った、というニュースをみました。・・・たいしたもんだねぇ〜。

 

 でね、私が「ほぉ〜」と思ったのは、インタビューで彼が答えた言葉・・・。羽生選手は「うまくやれたとは思うけど、まだ足りない」的な話をしていました。ド素人の私から見れば100点満点じゃね〜の!と思うわけですが、彼は「まだ頑張らねばならん」と・・・。

 

 「自分はまだ努力が足りない」とか「もっと頑張らないと・・・」という言葉ですが、彼の場合はネガティブ思考からきているものではないよなぁ〜と思います。自分の力に確固たる自信があるからこその言葉だと・・・。今回の自分の滑りをみて「まだやれる!」と新たな意欲を燃やしているんだと思います。

 自己否定感が強い場合の「努力が足りない・・・」は、心のエネルギーを減退させますが、羽生選手の場合は真逆かもしれませんなぁ〜。同じ言葉だけど全然違うよね・・・。彼に対しては「十分頑張った!」と褒めることはふさわしくないかも・・・。本人はその言葉に違和感を抱くだろうからねぇ〜。

 

 それまでの成果を踏まえて自分の可能性を信じている、というか自己肯定感に裏付けられた「努力が足りない」という言葉を言う人に対しては、褒めるよりも激励が良いんだと思います。

 たぶん、親や先生が子どもに声をかける場合にも、その子の状態をちゃんと見極めて言葉を選んだ方がいいんじゃないかなぁ〜。

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自己イメージ

 「私はこういう人間だよな・・・」という時の「こういう」の部分が、良いところとイマイチなところのバランスが取れているのがいいと思います。良いところだけだと大人になっても幼児期の万能感が残りすぎているってことになるし、悪いところだけだと自己否定感に苦しみ続けることになるからねぇ〜。・・・特に、悪い部分だけが強いとシンドイかも・・・。

 

 自己イメージが大事なのは、人がそのイメージに合うように考え行動するからです。

 自己イメージが低い例で言えば、「自分は何をやってもうまくやれない人間だ」と思っていると、新しい何かに挑戦するのを避けようとするでしょう。もし仮に頑張って挑戦したとしても、自分のダメな部分にだけ目が行くために、問題にならない程度の失敗を過大視して「やっぱダメじゃん」と自己確認するかもしれません。・・・こういう風だと、人生は本当に苦しいんです。

 

 自己イメージというのは、言葉を獲得する幼児期以降に抱き始めるんじゃないかなぁと思うんだけど、その時期に周囲の大人からどんな言葉をもらって育ったか、っていうのが重要かも・・・。「○○が上手だねぇ!」「諦めないで頑張った、えらい!」等のポジティブな言葉なのか、「何をやってもダメだねぇ」「○○なのはお前のせいだからね」等の言葉なのか・・・。

 

 低い自己イメージに苦しんでいる人は、頑張って「その日の良かった部分」を自分で認めてあげれば少しずつ肯定感が上がっていくんじゃないかなぁ・・・。その日やり遂げたことはもちろんですが、できなかったとしても「やろうとした気持ち」を褒めるんです。

 ただし、マジで修行のように言い聞かせなければなりません。人はいつでも変われますが、「変わる!」という強い意志とそのための努力が必要だからです。

 

 大人になると、周囲から「褒められる」ってことはほぼ無い・・・。だからこそ、自分で自分を褒めることが大事だと私は思います。

 

 

<余談>

 今日は澄み渡った青空で気持ちが良いんですが、・・・寒い!!

 こんなに大気が冷えてくると、タイヤ交換の時期をマジで考えてしまいます。私が付けている3年日記を見ると、去年は19日に「初雪」が積もるほど降ったようで・・・。

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中年期の生き方 6

 中高年になると、鏡を見る度に「なんか老けたなぁ〜」としみじみ思いますよねぇ〜。まぁ春秋を重ねてここまで生きてきたわけだから細胞レベルで劣化が進んでいるのは当たり前なんだけどね・・・。

 そういえば昔々、隣の席の理科の先生が「生き物の細胞は誕生した瞬間から消滅に向かって進んでいくんでしょうね」ってなことを話していて、私は納得しつつも「そんなぁ・・・」と思ったのを思い出しましたよ。

 

 中年期になると、誰もがふとしたことで身体の老化を意識し始めます。若い頃にあった体力や集中力が落ちてきたなぁ〜、というように・・・。健康面でもそうだし、体型やお肌の張りだってトホホな感じになるし・・・。

 自分の老化を意識するようになると「若い頃に戻れたらなぁ〜」的な気分になるもんですが、ここで注意が必要なのは「若さに過剰に固執する」ってこと・・・。

 

 例えば、老け顔を若い頃の顔に戻そうとして、エステに通い詰め、様々な美容器具を使い、サプリを飲みまくり、美容整形を施して・・・、というのを必死に頑張ったとしても、いつかは限界点に達するはず・・・。そうなると、老いた自分を受け入れられず深い絶望感に襲われるでしょう。これは「中年期の危機」と呼ばれる状態の一つです。

 

 安易に「老い」を受け入れずに適度にそれに逆らう努力は必要・・・。でも、それが行き過ぎると、悩みに縛られて心の自由を失うかもしれないので気をつけないとね・・・。ここでも「柔軟性」が問われるんじゃないかなぁ。

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聴きたい曲

 巷にはたくさんの曲があふれていますよね。その様々な曲の中から、私たちの心は「その時聴きたい曲」を自然に選んでいるようです。

 お気に入りのアーティストの曲を楽しむのはもちろんだけど、そうじゃない曲でも、ふと聴いた一曲が心にグッと迫り何度も聴く、っていうこともあるかと・・・。そのことを考えてみようと思います。

 

 「その時聴きたい曲を選んでいる」ってことをわかりやすい例で言うと、失恋した時にそれをテーマにした曲を繰り返し聴いている、っていう場合・・・。これは曲の歌詞etcが自分の気持ちを代弁してくれるので、受け止めてもらっている気がして落ち着くからなんじゃないかなぁ・・・。そして、その世界に浸りながら少しずつ心を整理していけるんだと思います。

 だから、落ち込んでいる時には無理して元気な曲を聴く必要は無いんだよね。自分が元気を取り戻せば自然にそういう曲を求めるようになるはず・・・。

 

 テンションを上げたい時、今ここで踏ん張る理由が欲しい時、満ち足りている時、やり場の無い怒りor哀しみをぶつけたい時etc、私たちは自分の気持ちを代弁してくれる曲を聴きたくなります。・・・そういう意味では、音楽というのは人生の様々な場面で私たちのそばに寄りそう大事な存在なのかもしれません。

 ある曲を聴くとその当時の記憶が鮮やかに蘇る、というのも、その曲と当時の自分の心が密接につながっていたからなんでしょうなぁ〜。

 

 

<余談>

 ふと思い出しましたが、私は「どこかで春が」(確かそういう曲名だったような・・・)という歌を聴くと、何となく悲しい気持ちになるのだ・・・。具体的な記憶は無いけれど、その感情だけが残っているようです。・・・音楽にはそういうものもあるねぇ〜。

 この曲と私の「悲しさ」がつながっているのは確かだけど、記憶がロックされているのかor単に忘却したのかその理由はわからん・・・、おもしろいもんだねぇ〜。

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うまくいかない時

 人生を生きていると、自分が思ったように物事がスイスイ進んでいく時もあれば、懸命に頑張っているのにうまくいかない時もありますよね。うまくいかない時には、周囲に腹が立ったり、自分を責めたり、頑張る気力を失ったり等々・・・と心がゴチャゴチャになるもんです。誰もがそういう時期を体験しているんじゃないでしょうか・・・。

 

 「起きた出来事には良いも悪いも無い。それをどうとらえるかで、良くも悪くもなる」という考え方があります。・・・つまりは、自分のとらえ方次第ってこと。

 よくある例では、美味しいジュースをコップ半分ほど飲んだ時の考え方・・・。「あと半分しかない」ととらえるか、「あと半分もある」ととらえるかで、気分が違います。

 また、苦しい出来事を乗り越えていく方からは「あのことがあったおかげで○○に気づくことができた」というような言葉をよく聞きます。

 目の前にある現実のポジティブな部分に目を向けることができるようになれば、人生が怒りや失望や不安等の重苦しい感情に支配されずに済むかもしれません。

 

 たぶん人生は苦しいことの方が多いでしょう。だからこそ、起きた出来事をまず受け止めるというか、「現実と願望を混同しない」という視点が大事かと・・・。

 そして、うまくいかなかった現実と向き合い、修正が必要であればやり、助けが必要であれば求めるということを淡々としていきましょう。さらに大事なのは、うまくいかなかったことで「新たに気づいた何か」を探そうとすることだと思います。

 

 物事のポジティブな部分に気づく力は、そう簡単には身につかないかもしれませんが、日々の中で意識して探す練習を繰り返せば、やがて自然にそういう認知に変化していくと思いますがね・・・。

 

 

<余談>

 不思議なことに、日々の中では「悩みにどっぷり浸かっていたい」時がある・・・。悩む自分が嫌なのに、なぜか今は立ち直りたくない、というか・・・、心っておもしろいよね。

 まぁそういう日はどっぷり浸かりましょう。・・・その後で、冷静な視点を取り戻してアレコレ模索していけばいいんです。

 

 

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中年期の生き方 5

 以前、このテーマの中で「育てる」ことで自分自身の柔軟性が身につく、ということを書きましたが、この「育てる」というプロセスで、柔軟性の獲得に関わるもう一つのエクササイズがあるんです。

 それは、若い世代の価値観とぶつかる場合・・・。

 

 例えば、子育ての場面で思春期の我が子から「お母さん(お父さん)の考え方は古い!!」と反発されると、「なにぃ〜っ!生意気なことを言いおって!」と怒髪天をつくわけですが、実はこの場面が柔軟性Getのためのエクササイズになります。

 

 大人の私たちは、自分の人生経験で得た価値観が間違っていないことには自信があります。だから「なにぃ〜っ!!」となるのは当然のこと・・・。

 大事なのは、その場面で我が子の考えを一刀両断に切り捨てて終わりにするのではなく、冷静さを取り戻した時に「ちょっと待てよ・・・」と立ち止まって考えてみる、っていうことかも・・・。

 もちろん、新しい価値観を全面的に取り入れる必要はなく、自分が信念を持っている何かについては絶対に譲らない!という姿勢は必要だと思います。

 ただね、我が子が必死に訴えているものに対して、その考えに少し耳を傾けることは大事だと・・・。これが柔軟性です。

 そして、何度も話し合って、双方が歩み寄れる地点を模索できるといいですよね。

 親にとっては柔軟性の訓練になるし、子どもにとっては「交渉力」の訓練になるかと・・・。どちらも人生には大事。

 

 親子の対立も、見方によっては、それぞれの成長につながるチャンスなのかもしれません。これは、職場の若い世代との場合でも同様・・・。

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中年期の生き方 4

 色々と忙しい日々を送っていたので、ブログを更新せずに今日まできてしまいましたが、また再開したいと思います。

 

 最近しばしば「中年期」をテーマに書いていますが、今日もそれ・・・。

 仕事を頑張ったり家庭を持ったりして、人生の基盤を固めていく中年期は、昔は人生の中でも充実し安定している時期だと考えられていたようです。でも、最近の研究でそうではないことが分かってきました。

 

 ひとりひとりの中年期には様々なことが起こります。自分が大病を患う場合もあるし、家族がそうなる場合もあるし、老親の介護や死という現実も・・・。あるいは、大切な我が子のことで思い煩う日々を送らねばならないことだってあるでしょう。

 

 子どもの頃や高齢の場合には、周囲からのサポートが得られますが、中年期は「常識ある大人としての言動」を周囲から期待されるので、心がぐちゃぐちゃ状態だったとしてもSOSが出せず、ひとりで苦しみを抱え込んで踏ん張ろうとしてしまいます。

 中年期の鬱状態は深刻な問題・・・。真面目で頑張り屋の人ほど自分で背負い、解決への出口を見落としてしまいます。

 

 苦しい時には誰か信頼できる人にいっぱい話を聞いてもらいましょう。話すことで、話している自分の言葉を脳の中に再取り込みできるので、少しずつ気持ちが整理され、進むべき道を自分で見つけることができると思います。

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