まんまる猫

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老後の暮らし方 2

 前回、「現役引退」をテーマに、人生の第一幕から第二幕への舞台転換で新しい自分の境地を切り拓いていく可能性について書いてみましたが、行方不明だった二歳男児が昨日無事に発見されたニュースで、発見者である78歳の尾畠さんの姿にその象徴を見た気がしました・・・。

 

 ニュースからの情報しかなく、本人に直接お会いしたわけではないので、彼のことをよく分からないまま書いていますが、65歳の誕生日を区切りに、それまでの魚屋を営む生き方にきっぱりピリオドを打ち、ボランティアとして活動する道に転身した彼の姿はすごいなぁと・・・。しかも、インタビューで見る彼には、飾らず、地に足をしっかりつけて生きている強さを感じます。

 

 「今までみなさんのお世話になってきたから、これからはその恩返しをしたい」「学もない自分がやれることをやっているだけ」・・・そういう思いで全国各地でボランティア活動をしているようですが、これはなかなかできることではありません。

 

 彼は、ずっと登山をしてきたようですが、人生の第二幕ではその経験が生かされているし、ボランティア活動を始めてから身につけたノウハウも磨かれていったはず・・・。まさに、老いてもなお発達し続けている姿だと思います。

 

 第一幕の人生でやってきた何かが第二幕を生きる土台になり、必要な技や視点にさらに磨きがかかっていく――、本当にすごいです。

 彼の存在は、いわば「逸材」ですが、私たちが「自分の人生の最終章をどう生きるか?」ということを考えさせてくれるヒントになるんじゃないかなぁ・・・。

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老後の暮らし方 1

 現代は「超高齢社会」に突入したと言われています。

 確か、大正時代の平均寿命は40代、昭和の中頃は60代だったようですが、現代では90代に届きそうな勢いで伸びていますよね。昔は、一生懸命に働いて子どもを育て上げた頃には人生の幕が下ろせたんですが、今ではその後の人生が数十年も続く時代になりました。

 

 長い老後をどう生きるか?ということについては最近のメディアでもよく取り上げられます。私自身にとっても関心のあるテーマです。

 

 今回は、「現役引退」ということについて書いてみようと思います。

 「生涯現役を目指そう!」というフレーズをよく聞きますが、そのこと自体は悪くはないけれど、気をつけなければならない部分もあるんじゃないか、と思うわけで・・・。

 

 会社etcだと否応なく「定年退職」という区切りがあるので、当事者はそこで一度立ち止まって、自分の生き方を見直すことができます。でも、自由業etcはそれがないので、「現役引退」の決断は本人に委ねられますよね。だから、なかなか難しかったりする・・・。

 

 「現役引退」というのは、それまでの自分のアイデンティティを修正し直し、新しい生き方を模索するきっかけになります。今まで抱いてきた「○○としての自分」を手放すことは案外苦しい心の作業ですが、実は、それをしていくことで人格的な豊かさや新しい世界を手に入れることができると思います。

 その一方で、いつまでも過去の「○○としての自分」に執着し続けると、未来に向けた人生の視野が狭くなり、心の柔軟性が失われるかもしれません。

 

 「生涯現役」というのは、一つの生き方だけに執着することではなく、人生の第一幕〜第二幕〜第三幕という風に舞台転換をしながら、そこで見つけた自分自身の変化を楽しんで生きていくことなんじゃないかなぁ〜。

 

 

<余談>

 今日から夫の実家に行くので、ブログは少しお休みします。皆さま、よいお盆をお過ごしくださいませ。

 

 

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心を寄せる何か

 この間、私は「庭友だち」とランチを楽しんだんですが、おばはん同志によくあるように話題があっちに行ったりこっちに戻ったりと、とりとめのないおしゃべりになっちまった・・・。

 でもその中で、マジに語り合ったのが、祈りの対象というか、「いつも心の中にある存在」について・・・。

 

 私と友人の考えが一致したのは、「宗教」というはっきりした形を持たなくても、自分だけの祈りの対象があれば、それが日々の支えになるんじゃないか、ってことでした。

 

 その対象は、亡くなった大事な誰かであったり、心から信頼し尊敬する誰かだったり、森羅万象の何かだったり・・・、人によってそれぞれに違うかもしれません。

 

 私はお会いする方々から、時々「小学校の○○先生が今でも心の支えです」とか、「尊敬する○○さんだったら、こんな時どう考えるんだろう、って思うんです」というような言葉を聞くことがありますが、そういう人も自分の心の中にいる大事な存在といえるんじゃないかなぁ・・・。

 

 お遍路さんたちが着ている白い衣の背中に「同行二人」と書かれてありますが、これは苦しい巡礼の旅を空海上人も共に歩いているという意味だそうです。・・・仏教徒じゃなくても、折に触れて思いを寄せ、語りかけていく存在が心の中にいるというのは、一人だけど一人じゃない、ってことかもしれないね。

 それに、迷ったり絶望したりした時には、足下を照らす小さな灯火にもなるんじゃないでしょうか・・・。

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あえて「今」を評価しない

 しばらく前の「SONGS」という番組に宇多田ヒカルさんが登場し、又吉直樹さんと対談していました。二人の会話は全部興味深かったんですが、その中で宇多田が述べた「『今』を評価できない」という話が心に残りました。

 

 これには、宇多田さんの子ども時代の日々が背景にあるようですが、彼女は「仮に今現在が幸せだったとしても、それは人生の『途中』にすぎない」というようなことを話していました。

 宇多田さんのお母さんはかつて歌手として一世を風靡した方ですが、言動がずいぶん突拍子もなかったようで・・・。学校から帰宅すると突然母親に「明日からニューヨークに引っ越す」と言われたetcのエピソードを語っていました。

 子ども時代の彼女は母親に振り回される日々を送ったようです。その経験が「今を評価できない」という言葉につながっているのでしょう。

 宇多田さんは、「今自分が味わっている幸・不幸は、人生の途中の段階に過ぎず、その先の展開は生きていかないと分からない」と話しながら、賢治の『銀河鉄道の夜』の一節を引用していました。

 

 それは、私も好きな部分・・・。

 「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

 

 この中にある言葉のひとつひとつをそれぞれが自分の人生に当てはめていくと色々と考えが広がるでしょう。

 そして、その答えが見つかるのは、自分なりに精一杯生き抜いた人生の幕を下ろす時なのかもしれません。その時まで、人生に起こるたくさんの出来事への評価を保留しつつ誠実に一あしずつを歩んでまいりましょう。

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完璧でなくていい、と思ってみる・・・

 私たちは誰もが「考え方の癖」を幾つか持っています。その中に「完璧を求めてしまう」とか「白黒をはっきりさせたくなる」という癖があります。

 これらは、仕事や勉強などをきっちりやる時とか、決断をする時には必要なものですが、その一方で、その人自身を追い込んでしまうという側面も持っているんですよね。ストレスを感じやすくなる、というか・・・。

 

 例えば、常に「○○でなければダメだ!」と考え行動していると、心身の疲れに気づかなくなるし、思うようにならないことで自分を責めたり、周囲が怠けているように感じて怒りを覚えたりします。実際には違うんだけど、自分の考え方のフィルターを通して見るから、現実が別の色に見えてしまうんだよね・・・。自分で悩みを作ってしまう可能性がある・・・。

 

 完璧を目指す生き方をしている人は、そもそも真面目で几帳面な人です。だから、そういう人が、仮に今の目標を少し下げたとしても、一般的には「真面目な範囲」にとどまっているはず・・・。

 

 「○○でなければダメだ!」を少しマイルドにして「○○したいけど、そうならない場合もある」という風に、頭の中の文を書き換える、っていうのはいかがでしょうか・・・。

 長年慣れ親しんだ考え方の癖を修正するには時間がかかるでしょうが、気づいた時に自分に言い聞かせていくことで、少しずつ楽に生きられるようになると思いますよ。

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バトル

 色々な方々のお話を伺っていると、その方の心の中で壮絶なバトルがいつも繰り広げられていることを実感します。

 「〜しなければならないと思うけど、いざとなると体調不良になる」「本当は〜したいのに動けない」etc、こうした「動きたい心と動けない身体」の激しいバトルは外から見えにくいので、なかなか周囲の理解が得られない場合があります。そのことで当事者のエネルギーはますます減退していくんですよね。

 

 ゲームばかりしている子が「ほんとはゲームは疲れるけど、やってる間は考えなくて済むから・・・」と話していました。また、昼夜逆転の子は「日中起きてると『今4時間目だ』とか考えてしまうから寝てるのがいい」と言っていました。これって罪悪感・・・。

 こういう方に「そんなこと言わずに頑張ってみろ」と言うことは正解ではありません。

 

 終わりが見えないようなバトルを延々と繰り返さなければならない苦しみをどうにかできないものか・・・、それをいつも考えさせられます。

 

 

<余談>

 ここ数日の暑さにはウンザリですよね・・・。そして、今日は蒸し暑い。

 私が子どもの頃の夏はこんなに暑かったっけ?と思います。南の地方は暑いにせよ、岩手では「35度」なんて気温はなかったんじゃないかなぁ〜。「30度」超えの日もあまりなくて、それでも十分に暑かった・・・。

 最近じゃ、「30度」と聞くと「お、少し涼しいじゃね〜か!」と思ってしまう私がおる・・・。

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「〜にもかかわらず」という視点

 先日見ていたテレビで、「百姓モデル」という生き方を選択した樅木英介さんのことを取り上げていました。

 若い頃に海外を舞台にモデルとして活躍した彼は、現在故郷の熊本で農薬を使わない農業に従事しています。モデルという華やかな舞台で生きてきた彼が、百姓兼モデルとして後半の人生を生きるという選択をしたことはずいぶん思い切ったことだなぁ〜と思いましたよ。今後は百姓をしながらモデルとして海外に再チャレンジしていくそうです。

 

 樅木さんは、モデルという仕事の光と影を経験し、故郷で生きる決意をしてからも葛藤の多い日々を送ったようですが、熊本地震の後、実家の片付けをしていた時に、昔自分がよく読んでいた本を見つけ、赤線が引かれてあった言葉を見てハッとしたそうです。

 それは、「にもかかわらず」という言葉・・・。

 それを見た彼は、「〜にもかかわらず、という言葉の後にポジティブな可能性が潜んでいる」ということに気づき、鬱々とした自分の現在に光を見いだすことができたようです。

 

 確かにそうかも・・・。「私は裏切られた」「今私に寄り添ってくれる人はいない」「何をやってもうまくいかない」etcというネガティブなアレコレの後に、「にもかかわらず、私は〜」とあえてポジティブな言葉を自分で加えていく、という視点・・・。

 

 苦しい時には誰かに解決して欲しいと願うわけですが、実際には、自分を救うのは自身の内にある何かなのかもしれません。彼の場合は、若い頃に何度も読んでいた本の中の「にもかかわらず」という言葉だったんですね・・・。

 自身の再生のきっかけがどこに潜んでいるか、それは人それぞれだと思いますが、「にもかかわらず」という視点には、なるほどなぁ〜と思ったわけで・・・。

 

 

<余談>

 「百姓」という言葉は昔は「何でも出来る人」という意味をもっていた、というのをこの番組で知りましたよ。これも「なるほど」だな・・・。

 ところで、今回のブログは、喉をゴロゴロ鳴らしながらパソコンのそばに来たミーと一緒に書きました。下記がミーの文です。

897うっっっっっじゅい

 ・・・意味不明。

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まず「知ろうとする」こと

 私には後悔してもしきれないエピソードがあります。それはLGBTの当事者のこと・・・。

 

 もう数十年も前のことですが、私が若い頃に親しくなった女性がいました。彼女とはボランティア活動を通して知り合い、家に遊び行く程の関係性を築いたんです。

 しばらく経ったある日、彼女は私に自分がレズビアンであることを打ち明け、恋人である女性がいることを話してくれました。

 打ち明けられた私は困惑しました・・・。彼女を嫌いにはならなかったけど、どう対処すればいいか分からなかったんです。・・・それからまもなく私は仕事の転勤でその地を離れ、そのまま現在に至っています。

 

 今でも私は、自分が彼女に対して行った失礼な態度を思うと「ワァ〜ッ!」叫びたくなる衝動に駆られるんですよ・・・。彼女は私を信じ勇気を出してカミングアウトしたはず・・・。葛藤し、躊躇を繰り返した末での告白だったと思います。・・・その気持ちを考えると本当に本当に心が痛みます。

 

 現代になって、やっとLGBTへの理解が進み始め、光が少し差し込むようになってきましたが、当時はそうではありませんでした。困惑することしかできなかった愚かな私がそれ・・・。

 悪意がないとしても「無理解」であることは残酷な結果を生むと思います。私たちは、まず理解することから始めなければなりません。LGBTに限らず、関心を持ち知ろうとすべきことはたくさんあるはず・・・。

 

 長い後悔の年月を経て考えるのは、彼女の必死な思いを踏みにじった過去の事実は変わらないけれど、自らの残酷さを自覚したことで、彼女によって変容させてもらえた現在の自分がいるのではないか、ということ・・・。

 だから、彼女への贖罪は、今後私が出会う多様な方々を自然体で受け止められる心の器を広くするために精進を重ねていくことだと思っています。

 

<余談>

 ・・・思うんだけど、当事者の周囲にいる人たちも「無理解」であったことで葛藤することもある・・・。だからこそ、色々なことに対して知ろうとし考えていく人々が少しでも増えていく世の中にしないとね。

 

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やんちゃな少年から教わったこと 

 昔々の担任時代に、やんちゃな少年と仲良くなった頃、「へぇ〜そう思うんだ・・・」と感じたことがありました。

 彼と世間話をしていた中で出た「俺は一度言ったことはぜってぇ変えねぇ!」っていうひと言・・・。たとえ、言ったことがウソだったり間違ったと感じたりしても、言った言葉は意地でも修正しないようで・・・。

 今ならその気持ちを受け止められますが、当時は「そりゃダメでしょう」という風にしか感じられなかったんだよね。なので、まぁ言葉を選びながら諭そうとしたんですが、「うぜぇ」で強制終了になりました。せっかく彼が開け始めてくれた扉を私が閉めちまったんですなぁ〜。

 

 幼い頃から、自分を拒否されたり無視されたりetcして育つと、人を信じる心が育たないので、他人の気持ちや言葉を受け入れるのが難しくなります。これは当然だよね・・・。

 逆に、ありのままの自分を大事にされて育つと、人への信頼感が心に根付いていくので、失敗して注意されれば「ごめんなさい」が素直に言えるし、間違いを指摘されればそれを修正できるようになります。

 赤ちゃんが大人へと成長するプロセスで、一番最初に必要なのは「受け入れてもらう体験」で、その次に「ルールを守る」訓練に入っていくんです。この順番はすごく大事だと思います。

 

 怒られ続けている子は、思春期になると、怒られた時の対処法はプロ級・・・。

 ウソや間違いだと分かっていても、意固地になってそれを貫くしかないのは、ダメな自分を認めれば見捨てられると確信しているし、自分のダメな部分と向き合うための心の幹が未熟なままだから・・・。でもね、本当はおびえているんじゃないかなぁ・・・。

 

 あの日、私は彼に「へぇ〜そういう風に思っているんだね」とちゃんと受け止めた上で、「なんでそう思うんだろうねぇ・・・」等とつぶやいたりして、彼の気持ちにもっと関心を寄せるべきでした。

 ・・・必死でとんがっている少年少女たちを見る度に、彼のことを思い出します。

 

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幼い頃の記憶

 先日、『プロフェッショナル』という番組で体操の内村選手を取り上げていました。私が「ほぉ〜」と思ったのは、彼の「今までで最高の達成感は、小学生の頃に初めて『け上がり』が出来た時・・・、それを超える体験はまだない」という言葉・・・。彼は、その時と同じかそれ以上達成感を味わいたくて日々鍛錬をしているのかもしれません。

 体操選手として国内外で素晴らしい記録を残している彼の原動力は、幼い頃の強烈な体験なんだなぁ〜と思いました。

 

 子どもの頃の強烈な記憶というのは良い意味でも悪い意味でも、その後の人生とつながっていきます。

 良い体験が、やがてその人を研究者や発明家にしたり、アスリートにしたり、芸術家にしたりetcということはよくありますが、一般庶民の私たちにもそういうのがあるんじゃないか、と・・・。今の仕事や趣味、あるいはまだやってないけど憧れている何かetcに、実は子どもの頃のポジティブな体験が関わっているかもしれません。

 

 私たちにも、内村選手のように、子ども時代に味わった達成感や楽しくてたまらなかった何かといったポジティブなものが子ども時代のたくさんの経験の中に一つや二つあるとすれば、それを大事にするのがいいよね。

 普段の忙しい暮らしの中では忘れ果てているかもしれないけれど、ゆったり出来た時に、静かに思い出してみるのもいいんじゃないかなぁ〜。

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